クラシック音楽の歴史をひも解くと
言われる事柄にドイツ3大Bの存在云々と言う話が出て来る。即ち、バッハ、
ベートーヴェン、そしてもう一人
ヨハネス・ブラームスの存在だ。ヨハネス・ブラームス。19世紀中期から後期にかけて音楽芸術の主流はロマン派。思考、形式美の追求から逃れ、より自由な発想、楽想を大胆な構図を基に描く。平たく言えば作曲家個々の美的センスが大きく問われる時代その只中にブラームスの存在はまさに位置していた。シューマン、ショパン、リスト、メンデルスゾーン他。数多の優れた作曲家達が競う様に作品を世に送り出し音楽芸術の花、咲き乱れる感著しいそうした時代にあってただ一人ブラームスだけはまさにじっくりと腰を据え、慎重に創作活動に勤しむのである。古典派音楽の中心を成す作品系体である交響曲。ベートーヴェンによってその頂点は極められた。この点は万人が認める所だろうし、後世このジャンルへ創作の矛先を向ければ、勢い大山脈の様にそびえ立つこの偉大な先駆者のその偉大な九曲の交響曲の影響を真面に受ける事このうえ無い、その事実は作曲家であれば、いや恐らく全ての人間が分かる所であったろう。しかしブラームスはあえてこの交響曲創作と言う想像を絶する分野への挑戦に撃ってでるのである。そして完成したのが彼の大傑作第一交響曲C-mollなのである。後に新古典主義の先駆けの様に言われる彼の創作活動だが厳密に言えば必ずしもそうとは言えない。彼の創作はやはり後期ロマン派の枠組みの中にある。壮大で大胆なオーケストレーション、豊かな楽想どれを取っても無限大の広がりを持った響きを有して聴く者の心を揺るがす。支配的な音楽と言っても過言ではない私はそう理解している。かつて古典派音楽の最高峰に位置したソナタ形式を中心としたオーケストラ音楽を書くに当たり彼は長考に長考を重ねて臨んだ。そして第一楽章を完成させるだけで何と12年余りの歳月を費やすのである。20歳代半ばから始めたこの壮大な仕事は終わって見れば彼を40歳代半ばの中年男に変貌させていた。ロマン主義的大胆な楽想と古典の形式美を見事に融合させたこの交響曲第一番は彼の努力の甲斐あって完成後、大成功の内に人々の心を捉える事となる。そしていつしか、この曲をベートーヴェンの偉大な九曲の交響曲に匹敵するまさに第十番目の交響曲であるが如き作品と評されるに至る。しかし当然彼はこうした評価を是とはしなかった。創作者として表現者として何よりも芸術家としてこれは第十番ではなくあくまでもブラームスの第一番であると言う事に大きなこだわりを持って臨んだのだ。第四楽章のあの余りにも有名な中間主題、重厚な中に淀みなく息づく枯れた、しかし極上の美を讃えて流れる暖かさ。ひる返って第一楽章、出だしでの象徴的で強大なティンパニの連打。この曲程クラシックを聴いたと言う実態感を実直に我々に与えてくれる曲も珍しい。因みにブラームスはこの後、第二から第四まで計四曲の交響曲を書いているが流石にいずれも第一交響曲作曲の時程、遅筆ではなかった。いずれにしても彼はこの曲を完成させる事で大きな山を越える。ベートーヴェンを意識していなかった事はあり得ない。だからこそそのこだわりがロマン派にして最高の交響曲作家ブラームスを生んだ所以であろう。この曲を聞き始めると時の流れを意識する感覚を失う。完全にブラームスの世界へ引き込まれその最高の美的空間にいる我が身の幸せを感じるのみだ。ブラームス交響曲第一番C-moll。身体はリラックス、だが心は引き締めてお聴き頂きたい。
(ルチアーナ筆。)
「小澤征爾指揮による
サイトウ・キネン・オーケストラの
名演が私にとって今、
最も印象的だ。 お聴きになるなら
この演奏を 推奨したい。」