白鳥の歌”終焉・白鳥の歌が聴こえる。3。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

国立オペラ劇場メインホール[大ホール]。第三次審査、そして最終審査・フリープレイ。私は今日も会場貴賓席にいる。数限りなく若き歌い手のはつらつとした歌声が私の耳へと鳴り響てくる。そしてこれは何だ!徐々にそれらが遠ざかって行くではないか!。これは何故だ…?。どうしたのだ!。「おぉ~サヤだ!サヤが歌うミミがジルダが、ああ~聴こえる。そして今ふっと思う。はたして私は芸術家として自身でいったい何を残せたのか?シューベルトは偉大な歌曲集を残し、モーツァルトはレクイエムを…!しかし、いずれも作曲家ではないか!。我々演奏家はいくら業績を残そうとも、その偉業は全て作曲家が担ったものと捉えられるのか?。人の命は短くとも芸術は永遠なるもの…。そうではないのか?。そうだ白鳥の歌だ!死期をさとったその時、白鳥は生涯で最も美しく鳴き、その声を仲間への告別の印として旅立つと言う。シューベルトもモーツァルトも作品を書く事で白鳥の歌を奏でた。自身が生きた証として…。私はどうだ!私は白鳥の歌を奏でる事が出来ないのか…!。私の白鳥の歌は…!。何と口惜しい事か。しかもそれをこの後に及んで今頃になって気が付くとは!ああ~待て!いや違う。白鳥の歌は聴こえる!聴こえて来る!。私の白鳥の歌はサヤだ。そうだ…!。歌声だけではない。サヤそのものの存在こそ私の生きた証だ…!私が育てたあの子が…!。ああ~私の耳に心に今、白鳥の歌が確かに聴こえる…。これだ。確かに…!白鳥の~、確か………に…」まゆ美「ムーンさん。三次審査終わったわよ。サヤちゃん全く心配要らなかったわね。見事ね…。ムーンさん!ムーンさん!!あなた!どうしたの?返事をして!!嫌!ムーンさん!あなた!あなた! !。」村田「どうしました?。先生!。先生!。これは…!奥様、そのまま!すぐに人を…。」係員「どうなさいました?。」まゆ美「主人が…!。」係員「分かりました。すぐに救急車を…。」村田「とにかくここを出ましょう。手伝って!。」Noi&Myu「はい!!」村田「君は奥様を…!カーニヤはサヤちゃんを頼む!」カーニヤ「OK…!」村田(芳子)「分かったわ…!」まゆ美「あなた!ダメよ。サヤちゃんの歌、まだ終わってないじゃないの…!(涙)」村田(芳子)「奥様!しっかり…!しっかりなさいませ。」係員「救急車が来ました。」村田「よし行こう!」Noi&Myu「はい!!」…………………………………………。「病を得てからというもの、このかた今迄、自らの生き方をここに語り続けて参りました私の夫、市澤陸奥がその生涯に終わりを告げました。このあとは僅かではありますが妻である私、市澤まゆ美が彼を引き継ぎ、娘の事、お世話になった方々の事など出来る限りの事をお伝え致して参ります。」
(続く。)ルチアーナ作