固定電話の呼び出し音、「うむ?電話か…!」いやファクスだ。応接スペースも含め私達が暮す移動空間、全ての部屋には等しく外部との連絡をスムーズに行う為にこの屋敷には電話、ファクスが備え付けられている。ゲストルームを除いて…。コミニュケーションに付いては最近では携帯やメールの頻度がましているが重要要件のやり取りは、やはり今だ固定電話やファクスが主流となる。どの部屋で受けても良対応だ。内容は先述のCA本社からの取締会決定の詳細連絡だった。記者会見の開始時間も明記されていた。次いで城東音大からも理事会等の承認事項を私に知らせる目的でのファクスが送信されて来たが何れも私は軽く目を通すに留め、長文のファクス用紙を手早くまとめ妻に後を託した。要は片付けてもらったのだ。余程の事がない限りもう話は済んでいる。今後一切何事にも関与しない。私も妻もだ。究極の逃げを決め込んだ!黙して語らず、私の引退の理由など決して世間には話さぬ。そう決めた。村田夫妻が応接スペースへと姿を表した。雄三氏が帰宅したとの連絡に早々、私が呼び立てたのだ…が
話は以外にも私の予測を超えた成り行きを呈した。何と村田夫妻は私の引退の意思を既に熟知していて又、病状に付いても大体の事は理解していてくれたのだ。CA本社からの報告は今朝がた久田社長から受けたが、その前から薄々、気付いていたそうだ。その上で村田夫妻はこうなったら今迄以上に誠心誠意、私達夫婦をサポートすると言ってくれた。この言葉に不覚にも私達夫婦は涙が溢れ流れるのを禁じ得なかった。村田夫妻は私達よりおおよそ10歳年長である。しかし実に何とバイタリティー溢れる夫妻だろう。雄三氏は昨夜、あの酔いつぶれ少女を軽々と抱きかかえゲストルームへ運んでくれたし芳子さんはその年齢とはとても思えぬ若々しい凛とした声と佇まいを持った人だ。本当に本当に何から何まで感謝に耐えない。そして私は私の最後の瞬間まで村田夫妻に妻共々、私を…私という人間の存在した事をしかと見届けてもらいたいと改めて心から思った。芸術に生涯をかけた私という人間の歴史をこの方々なら優しく穏やかに語りついでくれるに違いない。新たな確信が私の心に芽生え、精一杯生き抜く事を誓わせてくれたのだった。
そしてその頃3階のゲストルームでいよいよ、かの眠れる少女がうごめきを開始したのだった。「う~ん…!ああ~、痛ててて!頭割れそう!!」第一声がこれだ…。(続く。)
ルチアーナ作