久田「先生、そして奥様…。今のお話はおそらくお二人が全てに於いて熟慮されご決断された結果を私どもにお示しになられたものと拝察致しました。クラシカル・アカデミーという会社は言う迄もなく若くして私と先生が共に真の芸術の魅力を世に問う為に設立した会社です。勿論、奥様のサポートを頂きながら…。そして今やCA社は当代随一のアーティスト数を抱えクラシック音楽界で確固たる地位を占めるに至って居ります。…が!ここでその正に中心に居られる市澤先生がこんな不幸な形で引退を余儀無くされるという事は痛恨の極みと言わざるを得ません。
しかし、今のお話をじっくりお聞きして尚、ここで私個人としては先生や奥様へ、何かをご要望申し上げる余地はないものと考えました。今、私は我が国が生んだ世界的テノール、市澤陸奥の引退を受け入れマネージメントの全てを停止する事と致します!。」
守野「しゃ…社長!!」久田「守野!もうそれ以上は…!。守野もカーニャもこれ以上先生や奥様のお気持ちをかき乱す様になる事は私と一緒にこんりんざい止めるんだ!いいね…!」私、市澤陸奥にとってこの久田社長の言葉が皆にこの状況からこの決断に至った私、そして妻、まゆ美の行く末を真に決定付けた瞬間だった。
畑原「私も最早、ご夫妻にお返しする言葉が御座いません。しかし、どうでしょうか?学校での特任のお仕事、
後進のご指導、こちらならまだ充分
担って頂けるのではと誠に勝ってながら思って居りますのですが…。」
畑原学長の申し出は当面、現実的だろう。しかし私は今はまだ支障がないにせよ病状の激変の懸念を抱えて尚、教育機関である公の学校、大学で
教鞭を取る事も又、良しとしないのである。歌手として、教育者として全ては今日を持って最後としたい。皆の前でその意思を伝え私の話にピリオドが打たれた。深夜である。ホテルには面倒をかけたが私も妻もこのままここに宿泊するつもりはない。久田、守野、そして畑原の3氏はこの重苦しさを抱えながらも最大限の敬意を私達夫婦に払いつつ深夜帰路についた。それを見送り私達は今夜このホテルに泊まるカーニャを部屋まで送った。「ありがとうカーニャ…。」私の言葉に涙溢れ震えるカーニャは無言のまま私と妻を交互に力いっぱいハグをして自室のドアを閉めた。次の日、カーティア・ティッラーニは守野チーフマネと共に急遽ニューヨークへ戻り、CA本社では緊急記者会見となった。無論私の突然の引退に付いてである。
私(市澤)「さあ、帰ろうか…。」妻(まゆ美)「はいムーンさん。村田さん、随分待たせてしまったわね…。」
私(市澤)「そうだね。悪い事したね。」 帰路、 先述の様にこの先想像だにしていない出来事が展開して行く 。その遭遇まであと僅かである。
(続く。)
ルチアーナ作