私(市澤)「そうだね。カーニャ、5年になるか!ローマで君と出会って。ご両親も一緒にね。」久田「そうでしたね。私もあの時先生のお側に居りましたから良く覚えていますけれども、大学を時季に卒業したら、すぐにでも日本へ行きたいのだけれど、きっかけがないから先生のお世話の仕事をさせて欲しいと!そうすれば好きなオペラは
見放題だし、日本に行ける様にもなるだろうしと…。さすがにあの時は先生も、奥様(まゆ美)も、私もあまりの事に空いた口が塞がらない思いでしたが、カーニャも又、何よりもご両親が、開けっぴろげで大らかに話すので
何かあれよあれよと言う間にティッラーニ家のペースで全てが進んだ感じでしたね。してやられた感じです。」
そう!その通りだ。カーニャはそれから二ヶ月、現地の大学を卒業すると
事務所の出先機関のあるミラノまでやって来た。彼女の両親は実にオープンな気質で娘を一人、手放す様に海外も含む遠い地に新たな仕事とはいえ送り出す事に普通なら躊躇する所、
全く迷いがない。娘の好きな様に…
これがもっとうらしい。イタリア人気質なのか!話をすればキリが無い。
そしてその後、紆余曲折の果ての果てカーニャは僅か5年で先書の様に今は
事務所の全米統括マネの地位にある。
あの出会いは今考えれば大きな
人材発掘の瞬間だったのだろう。
そして私と久田社長の先見の明、いや
あの時傍らでこのイタリア娘の気質、
素性を見抜き我々の側に置く事を
一番プッシュしてくれたのは妻、まゆ美なのだ。この件でも妻には感謝しなくてはなるまい。何れにしても今、
私の病と引退とはこくこくと流れる時間の中、言葉数を既にそうは増す事なく皆の心に諦めと言う文字と共に
浸透し始めて来た。人生、仕事それを今、私は自らの命との駆け引きに使わなくてはならない。私はこれからこの一連の話にピリオドを打つ為の言葉を投げかける時間へとさしかかっている。(続く。)ルチアーナ作