悪い事があると、誰だって自分が悪いんじゃなくて人が悪いと思いたい
自己防衛みたいなところは誰だって持っていると思う
私にとって不登校は、人のせいにしたいものだった
私の子育てが悪かったんでも家庭がおかしかったせいでもないもの
子どもが不登校になると、まずは学校の担任の先生から始まっていろんな方との面談?がある
私も学校の先生、学年主任こらスクールカウンセラー、教育支援センターなどの公的な場所、病院などとたくさんのところに行った
私の中では、行かされただった
不登校を受け入れることも受け止めることもできてない私
許容範囲をとうに超えているズタボロの状態で面談に行かされるのだ
ハリネズミみたいにトゲトゲだらけで、人の話をきちんと受け止めるなんて無理な状態の中でのこと
今にしてみれば、いろんないいことを教えてもらっていたのかもしれんけど、私には聞く耳は無かった
心に響くなんて全くなかった
私があの頃に欲しかった言葉ってなんだったのかと考えてみた
気休めの優しい言葉
ではなくて、どうしたら子どもを学校にまた行かせることができるようになるのかだった
何をどう変えたら再び学校に行けるようになるのか
その答えが欲しかった
それを教えてくれない場所に行っても時間の無駄とさえ思っていた
自分を全否定して卑屈になっている中で聞くお話は、私にとっては地獄でしかなかった
不登校という普通でない家庭と、たぶん想像でしかないけれど普通にお子さんが学校に行ってらっしゃるであろう家庭の方
どうせ私の本当の辛さなんて理解できるわけない
仕事だから、仕方なく話を聞いてくれてるだけ
心の底では、バカにされてるんだ
こんなことを思っていた
そこまで自分がぶっ壊れていた