本日は、不登校とは関係のないことです


興味のある方だけ、どうぞ



         



夫より10歳くらい若い友人が、病気療養の末に亡くなった



ちょうど2週間くらい前に、そろそろ危ないらしいと言っていたから、よく頑張られたなと





その方、子どもさんがまだ小学校低学年くらいの頃に、奥様を亡くされている

仕事中に「頭が痛い」と言って、そのまま意識が戻ることなく亡くなられたそうだ


その後は、男手一つでお子さん達を育ててこられた




療養中には


「しんどいから、早く楽になりたい」




夫が面会に行った時にそう話されたそうだ






年が越せないかもしれないと言われていたのに

なんとか外泊できて、家族と過ごせたそうだ




母親をある日突然亡くして、あの頃は混乱していたであろう子ども達に、父親として納得の出来る最期を見せて亡くなられたそうだ






人の死生観は、人それぞれである


特養で働いていた時に、利用者さんの死について

職員で話し合った時にも、いろんな意見がでていた



家族や親しい人に囲まれて最期を迎えたい


ひっそりと静かにひとりで最期を迎えたい


最後に苦痛があるのは嫌だ




いろんな考えがあっていいと思う






看護師さん達は、薬を多く使って寝かせてあげたらいいのにと話されていたのを夫は耳にしたようだが




医師である夫は、友人に


「薬はいつでも使えるけど、親父としての生き様を子ども達にしっかり見せてやれ。お前も子ども達も後悔なく過ごすのが大切じゃないか」




たまにはいい事言うんだねと、珍しく夫を褒めてあげましたわ





最期は苦しまずに、家族みんなに見守られて

安らかに逝かれたそうだ






私は、実父と義母を自宅で看取った経験がある



自宅での見取りは、いろんなことが大変だ


看護師の資格を持っている私でも、本当に大変だった




ケアに入ってくださる訪問専門のドクターや、ケアマネさんに、訪問看護の型などたくさんの方のサポートがあったからできたと思ってる




親の老いていく姿や、自分で動けない姿を見ながら一緒の時間を過ごすことが出来たありがたさ




亡くなった人たちはどう思ってたのかは、わからないけど

残された家族としては、自分たちの納得の出来る

やり切った感、後悔のない最期を迎えるお手伝いができたと思っている



親を亡くした淋しさは、なくならない


時々、ふっと思い出す事はある





人は生きてきたように亡くなる



夫の友人も、男手一つで必死にお子さん達を育ててこられたからこそ、最期まで生きたいと頑張った姿をお子さん達に見せられてよかったなと勝手に思っている




私もそう遠くない未来にやってくる死に向かって


毎日を大切に、健康で楽しんで過ごしていきたいと



最期は「楽しかった、ありがとう」と笑って逝きたいと思った



そのためにも、毎日を悔いなく、やりたいことをやって楽しもうと思ったわ




ご冥福をお祈りします