私、看護師の学校に行っていた3年間以外

結婚するまでずーっと実家でお世話になっていました。


私が看護師をしてた時は、今はどうか知らないけど、3交代でした。

もちろん日勤の時には、お昼のお弁当を作ってもらい、深夜勤の時にも途中で食べるお弁当を作ってもらってました。

当たり前のようにです。


朝早くや夜中に出かける時には、もちろん起こしてまでもらってました。

当たり前のようにです。



これ逆だったら、私だったら気が狂うかもしれんわ

なんで私がこんな時間に起こしたり、弁当作らんといけんの

自分でやってくれ‼️



それを朝から夕方まで働いている母が、当たり前のようにやってくれてたんですね。

それが当たり前のように

親の愛情ですよね。


子どもの親になって、本当にすごく甘えてたな、愛されてたんだなと


小さい頃、愛されてない、大事にされてないと思っていた私に謝れ‼️とさえ思ってしまいました。


感謝しかありません。



高校生までのことを思い出しても母と当たり前の話はしてたのかもしれないけど

何もあんまり覚えてないんですよね。


ペラペラとよく話す人ではなかったし、思春期、反抗期の私がそんなに話す訳ないし

機嫌悪そうにしてたんでしょうね。


今でも忘れられない出来事は

私が看護師として働いている時に、母と2人で晩御飯を食べに行った時のことです。

私がいろんな事をベラベラ話すのを聞いて「あんたがそんなによく話すなんて知らんかったわ」としみじみと言ってことですね


それは、よくしゃべるな、こいつと思っただけではなく

子どもと話してこなかった自分に対する何か思うところがあったのかもしれません。


そんなこと忘れてるだろうし、聞くのもね




その代わり、父は事あるごとに

昔の話をしたり、教訓じみた事を話して聞かされてました。

まあうるさいくらいにおしゃべりの好きな人でしたね