私は子どもが小さい頃から、子供が痛い思いをしないように、困らないようにと思って
声かけをしたり、先を見越して何かをやってやったりしていました。
それが子どものためになるから
子どもが辛い思いをして泣いたり、困ったりしなくていいようにと思って、手を出したり声をかけたり
それが親の役目、親心だと思っていました。
私自身がそうして育てられてきたんでしょうね
困らないように、手をかけ声をかけられて
そうするもんだと刷り込まれてたんだと思います。
子どもの頃の私、うるさい、息苦しいと思っていたはずなのに、忘れてるんですよ
親からされて刷り込まれてきた様に我が子にも接していたみたいです。
よく考えてみたら、これって親心とかではなく
ただのエゴ?だったんじゃないかな
私自身が子どもにこうなって欲しい、こんな風になって欲しくない
手をかけ、声をかけながらコントロールしようとしてたのかもしれません。
親の私もひとりの個、子どももひとりの個
ということをわかっているつもりで
実際にはしてなかったのですね。
だから不登校になった子ども達を目の前にして
無意識の中でコントロールしてきたものが壊されたから、よけいに受け入れられなかったのかもしれないですね。
少し引いて子どもを見るように心がけています。
とはいえ、根っからのバカ親ですから
子どもの喜ぶ顔を見たいがために日々見守って
困ってる時に助け船を出すように、ちょっと外から眺めるように努力してるところです。
子どもが不登校の時に、私の周りには本当の私の気持ちを聞いてくれたり、理解してくれる所人はいませんでした。
今はどうなんでしょう
あるのかもしれないけれど
自分の気持ちを吐き出せず、辛い苦しい思いをしている方もたくさんいらっしゃると思います。
同じ経験をした私が聞きます。
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