亡くなる当日、数時間前から呼吸が荒くなったり、浅くなったり、乱れてくる



痰がからんで、呼吸がしづらくなる

妹は何度も吸引してもらったが、最後の方はもう吸引するのも呼吸自体がつらくなるから…とそれをやめた。

苦しそうに肩で息をしていた。

少し静かになってきて、落ち着いたのだな…とそばにいた両親もほっとした。
でもそれは最期の方の呼吸だった。
私はこの時にそばに行けたのだと思う。

よく頑張った…と思った。 
悲しかったけれど、もうこんなに苦しまなかったり、痛みがなくなるのなら…と。
だから両親も悲しくて泣くよりも、よく頑張った。お疲れ様…と泣いていた。

自分の子どもが亡くなってしまうなんて、これまで思わなかっただろうし、どんなにつらかっただろう。
私に残されたことは、両親を最期までちゃんと送ることだ…と思った。
大きな大きな喪失感だった。

セミナーの内容はこれで終わり。

あればよかった…と思ったことは、残された家族に、亡くなった後少し時間をおいて病院と話し合いなどの時間が持てたらよかったな…と思った。
グリーフケアがある病院もあるらしい。
後に後悔や迷いや答えの出ない問いがたくさん残った。

それは解決されることはなく、自分の中でぐるぐるまわり、その後も調べて納得させたり、周りの方の言葉のお陰で少しずつ和らいだ。


感謝の気持ちもたくさん伝えたかった。

でもきっと、次の患者さんに忙しい。

私たちもそうしてもらったように、早く片付けて

身を引くことがよい別れ方…と思い、急いだ。

最期は悲しいのに慌ただしくて、それからが怒涛の時間だった。