東濃の恵那の様子 | 霊能たかのりのブログ  

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不思議な世界へようこそ

御嶽山の噴火による被害…こんなにも大きくなるとは…

お亡くなりになられた方々へのご冥福をお祈りしたいと思います。



昨日(28日)は恵那に行く用事がありました。

恵那の様子は平穏なものでした。

目には見えないものですが波動も穏やかでした。

恵那山も笠置山もとても穏やかでした。



ただ、気のせいでなければ…高速道路中央道を走る中で、行きも帰りも、恵那を離れ、瑞浪・土岐・多治見…と愛知に入るまでの東濃地区の波動はやや不安定に感じました。

御嶽山方面まで行く時間はなかったので、たとえば温泉で有名な下呂のほうの様子は身を以ては体験していないので何とも言えないのですが…

東濃に何かまだ不安定さを感じたのが正直なところです。

そんな中、なぜ恵那は不安定さを感じなかったのか…も不思議でした。

中津川とかはどうだったんだろうなぁ…


御嶽山は岐阜でも比較的に北にあたる高山や下呂に近いので、同じ岐阜・長野の県境付近でも南にあたる恵那や中津川からは少し距離があるので、恵那の地下水脈や地盤には影響がなかったのかもしれません。

…いや…正直、推測の域を脱っせませんが…。

言える事は恵那は穏やかだった。

また、岐阜の多治見を抜けて愛知の春日井に入ってからは不安定さが徐々に解消されていた。

そう感じました。


今日の名古屋は普通(いつも通り)な感じでした。

西濃(岐阜西側)である大垣も、中濃にあたる岐阜駅あたりも穏やかなものです。


自然現象だと現実的に捉えれば、ただ御嶽山が水蒸気爆発しただけだという事に過ぎないのかもしれませんが…

何かそんな単純な事じゃないような気がして…


単純な事にしたくないだけの話なのかもしれませんが…


余談になりますが、変な話、僕個人の話でしかないのかもしれませんが…

クンダリーニパワーが何だか少し荒々しいんです。分かりやすく言えば性的なエネルギー。

ただの欲求不満と言いくくってしまえばそれまでですが…

そういう衝動というか、思考や感情は別にそれほどではなく、ただただエネルギーが何か普通じゃないように感じる。

本能は反応している感じといったほうがいいのかな…


これが気になります。なぜなら、クンダリーニは生きようとする力と言ってもいいのかもしれません。その力が…生きようと主張しているとも捉えられなくもない。

それはすなわち、死の意識が芽生えているとも捉えられる。


ただの欲求不満で何てことない、もしくは僕個人が死に近づく異変を起こしているなら、まぁ僕がそれを受け入れりゃいいだけの話なんですけど。

そうでないとしたら…

やはり、まだまだこの地球が…日本が…もしくは僕が住むこの地域の付近が…エネルギーの暴発を溜めている可能性として見れなくもない。


現在も御嶽山が噴煙を上げているのだから当たり前なのかもしれませんが…

満月でも新月でもない中途半端な時期に、何でこんな感覚があるのか個人的には少し違和感があるんです。


現在の僕はそんな感情的な性格ではないので、いたって冷静で、このエネルギーをただただ内観して見つめているのですが…

だからこそ、少し違和感を感じるんです。


何もなければいいけど…

もしくは今後おさまっていくならいいのだけれども…



結局、この段階では何の結論も出せない宙ぶらりんなブログにしかならないのですが…

もう少し様子を見ていようと思います。



そして、これこそ余談ですが…

昨日、恵那から遠隔により御嶽山へ意識を合わせてみたら、そこには…戸惑いと…悲しみと…そんな意識を感じる事となってしまいました…。

僕とシンクロした意識の方には、ご冥福を祈り、様々な説明や説得をさせていただきました。

いわゆる浄霊の事です。

ただ…僕に全員を背負う力はありません…

微力ながら、僕がやれる事をする…それしか出来ません。

それはさておき、この経験によって気づいた事があります。

生きている人も、亡くなっている人々にも…本当の世界を知ってもらう必要性があるんだ…と。

現代の生活価値観に、あまりに執着してしまう事が…すみやかな冥福を阻害してしまう事を…あらためて知ったんです。

全員に言える事ではないと思います。

でも、やはり…そうなっている人が沢山いる…それも事実。


だから僕は、こうして生まれてきた以上、人知れずとして、人知った状態も加味して、この能力と経験を今後も活かして生きていくべきなんだと思いました。


大それた事を言えば、困惑した魂たちに手を差し伸べる、観音様のお手伝いをするために、僕は『観世音力(霊能力)』を授かっているんだと。

世を観て本音(本当の姿)で救う。


本来、霊能力を持った人や、達観できる人は、そうあるのが理想なのだと思うんです。


この時代がいかに本当の真理を見失った価値観になっているかを霊的世界においてでも確認してしまった以上、僕は僕でやれる事をならなきゃな…と決意するキッカケにもなりました。


もっと表に立つべきなのかもな…。そういう時なのかもしれない。

自分なりに色々と試行錯誤してみようとは思います。