入院して たった1ヶ月だった



入院前日まで仕事してたし、治療も始まってた
入院中に脳梗塞を起こした事が 全ての元凶だった

治療もストップし、絶飲食になり
みるみる容態が悪化し・・・



それから あっという間の2週間だった









息子達が父親の傍で涙してる間
最期の2時間の対応に対して 私は病院側に抗議した





いっちゃんの病院とでは対応も扱いも全然違ってた

それは小児科だから とか
大人だから とか

そんなレベルの話ではない




亡くなる2時間前から
肩で息をして 胸が大きく上下していた

素人の私が見ても 普通やないと分かった



この2時間の間に 4回ナースコールした
その度に対応は《痰吸引》だけだった



最後にコールした時は
主人は苦しくてなのか 一筋の涙を流した

「 呼吸が苦しそうです!来てください!」



しかし

ナースステーションは すぐ隣なのに 全然来ない

呼びに行きたいけど 主人から離れるのが怖かった



アラームが鳴り止まない







そして



真っ直ぐ前を見たまま
大きく息を吸い ・・・   ・・・   ・・・  止まった

 






「 息 吐いて! 吐かなアカン!!」

「 お父さん!アカンよ!息して!!」






口を開けたまま 閉じない




「子供達も もうすぐ来るで!!」





何度も名前呼んだけど 息を吐かないまま





看護師さんは? ・・・ 来ない
こんな状況  ひとりじゃ もう無理





「誰か!来てーーーー!!」



叫んだら すぐ来た。 2人。

パニくってた私は 駆けつけた看護師に怒鳴る


「なんで誰も来いひんの?
苦しそうやって言うたやん?
こんな ずさんな看護ある??なぁ!!」



看護師は 何も答えず 2人ともバタバタ出ていった


また 私ひとりになった






主人が逝った悲しさより 怒りが込み上げてきた


もし私が居なかったら
誰にも気づかれずに逝ったのではないだろうか



延命治療はしないと言っていたけど
医療従事者なら、あの呼吸を見て
《死期》が近いと分かったのではないだろうか
危険だと分かってたのではないだろうか

私はそれを 教えて欲しかった
ただそれだけ!


そしたら子供達も 間に合ったはずなんだ


亡くなる1時間前につぶやいた
私の《なんか変、なんか怖い》のLINEで
子供たちは 駆けつけてくれたのだ



言ってくれてたら2時間前に連絡出来たんやない?
他府県にいる ちぃ兄も間に合ったんちゃう?





それがとても悔しかった





抗議したが 《不備、落ち度はない》と言い切る
あくまでも《ごめんなさい》が言えないらしい



もう めんどくさくなった ←これ私の悪いとこ

もうええわ・・・・・・ 疲れた








それから葬儀までバタバタとして
おもてなしやら お金のことやらで バタバタバタ
心はなんて言うか《凍結》した感覚だった



最後に斎場に来て
お坊様のお経の中 本当に最後の別れをする時

突然 私の感情が帰ってきた

いっちゃんの時の記憶が フラッシュバックした




胸をドンドン叩いて
 《落ち着け 落ち着け》と自分に言い聞かせた


でも 涙がとめどなく流れた


あぁ、この場所来るの まだ早すぎるよ・・・





目をこすりながら ゴボが隣に来て言った

「 いっちゃんの時、ここでお母さんが
狂ったように泣き叫んだの思い出してしまった 」


そう言って ふたりでメソメソした


父と いっちゃん


いっちゃん


お父さん、これから四十九日かけて
貴方のところに逝くからね


いっちゃんと違って 
懺悔しなあかんこといっぱいあるろから
苦労するかもしれへんけどな


着いたら 労って迎えたげてな




我が家は 今 大きな百合の花で 酔いそうです






お父さん お疲れ様でした



4人の宝を ありがとう