何をやったかは他人が決める 謙虚が一番
俺は(私は)あれも これも こんなにやっているのにっ!!
自分は結構やっている、こんなことも、あんなことまでやったんだ!!
やってきた、やった。
この言葉は実に扱いが難しい。
これまでの人生でどれだけこの言葉を使っただろうか。
職場、上司、後輩、恋人、家族、親友に対して。
そして問題は、今後どれくらいこの言葉を使うのか。
人は自分以外の事は、自分の事以上には知り得ない。
だからこそ過ちをおかす。
いくら自分が何かをやったからといって
問題はそれがどういう結果をもたらすか。
自分がやったことは、結局、その結果は
究極、自分にしか糧にならない。
人は自分にされた事は、嫌な事か良い事くらいしか
感じない、若しくは強く記憶に残らない。
何をやったか、ではなく、他人がどう思ったか、
他人がどう感じ、記憶に残ったかが重要だ。
だとすれば、何をやったかという言葉は、時と場合にもよるが
あまり必要ではないように思う。
言葉は相手のために使うものだ。
行動もまた、相手や他人のために伴っていれば
それはすばらしいこと。
自分からあえて言わなくとも
他人が代弁してくれる、感じてくれる。
ただ、行動は自分にしかできない。
人は一人では生きられない。
生かされているからだ。
30間近にして、ようやく
その意味がわかってきたような気がする。
自分は結構やっている、こんなことも、あんなことまでやったんだ!!
やってきた、やった。
この言葉は実に扱いが難しい。
これまでの人生でどれだけこの言葉を使っただろうか。
職場、上司、後輩、恋人、家族、親友に対して。
そして問題は、今後どれくらいこの言葉を使うのか。
人は自分以外の事は、自分の事以上には知り得ない。
だからこそ過ちをおかす。
いくら自分が何かをやったからといって
問題はそれがどういう結果をもたらすか。
自分がやったことは、結局、その結果は
究極、自分にしか糧にならない。
人は自分にされた事は、嫌な事か良い事くらいしか
感じない、若しくは強く記憶に残らない。
何をやったか、ではなく、他人がどう思ったか、
他人がどう感じ、記憶に残ったかが重要だ。
だとすれば、何をやったかという言葉は、時と場合にもよるが
あまり必要ではないように思う。
言葉は相手のために使うものだ。
行動もまた、相手や他人のために伴っていれば
それはすばらしいこと。
自分からあえて言わなくとも
他人が代弁してくれる、感じてくれる。
ただ、行動は自分にしかできない。
人は一人では生きられない。
生かされているからだ。
30間近にして、ようやく
その意味がわかってきたような気がする。