有鹿神社には鹿神職がいない

それでももらえる勇気がある





https://x.com/arukajinjanegi/status/1798254145084002411?t=VmmQgUtx4lPN3XwR3jUcjg&s=19







Sさんが推す公認・亀井茲矩像





驚きSさんの著作権法無視の再度利用は置いといて3つ。
Sさん自身が撮った写真なら何にも問題ないから



Sさんは亀井家の家紋を昔からいっぱい見ている


Sさんは譲伝寺の亀井茲矩像とご友人の家族を公認キャラクターとして広めようとしている


そして、同じ一族同士で結婚しないとダメなの?



魂が惹かれ合うってシチュはロマンチックだけど、亀井氏もいろんな血筋を取り込んで続いてきた一族だと思うし、現に亀井茲矩は湯氏の出であるし。









驚きウィキや他のサイトさんでも亀井茲矩公の生涯をざっとだけど読んでみると、進取の気性に富んだ実業家タイプ。
家を存続させるのに、血筋とかのこだわりはそこまでないんじゃないかな。

そしたら明治期に公家の堤家から養子は取らなくて、何とか一族内の縁組みで存続の道を選んだと思う。


亀井茲矩を持ち出して出雲国の出という事と琉球の事を今回のシリーズの内容に添えるなら、とっくにそちらのほうにご縁が結ばれているはずで。


『鹿』にこだわる理由が地名以外、今の段階では見えてこない


 ホント、シリーズ終わらないと『鹿の王』が『鹿野王』とかいうダジャレかとかツッコめない。







すんごい『鹿』だらけ(山中幸盛=通称・鹿介)で、どういう着地をするのか見当がつかないよ




尼子氏の家紋は平四つ目結で。






家系にこだわって骨格やら家紋やら資料を収集してきた(←今は削除していますが、以前Sさんの霊能者仕事のホームページ『月さらら』で家系から祖霊神探しをして魂の土台を整えるというメニューがありました)Sさんが、隅立て四つ目紋という大内菱と似た形◆を、『調べた家紋の意味を読みながら、この家紋から辿れる家系に目星を付ける』として尼子氏の家紋■を持ち出すのは無理があり過ぎる。



ましてやSさんは【形】にこだわりやすい性質持ちだし。



始めから佐々木氏が源流にあることを知っていて、尼子氏の家紋を出しただけで



一般的に多くの人が家紋の形に疎く、これからも祭事でしか見ないから関心を持ちようがないという前提ありきで、ちょろっと知識を小出しに見せてしらばっくれている……

この『ちょろっと』がクセモノ無気力意味が深いようで浅いから…



そんな人が満を持して公開に踏み切った『鹿の王の末裔シリーズ』。



そんなこと有鹿(あるか)!と書けるかどうか……





「(^⁠_⁠^)そうだな。今日は休みで、伸び伸びと謀略を練っているか実行しているかだな。」




真顔Sさんにとって、巫の仕事が遊びのようなもの、遊びが巫の仕事のようなもの……!

ハレとケの境目がないブラック巫、それがSさん………ご友人の憑き物取り憑かれ率と、先祖・前世絡みの呪詛の発動率が高い霊能者です←『そういうご縁なのね』に強引に持ってくから厄介




………あ、今気が付きました。


今回のシリーズ、ブログテーマが『*巫(神和ぎ)への道』だ………


この話を【自分の巫成長物語】に位置づけているのかな………

この前は『関門海峡が平気になりました〜』だったし絶望




「(^⁠_⁠^)友人たちは自分の成功への踏み台だからな。」



「あっちで友の頭を踏んづけ蹴り、こっちで友の頭を踏んづけ蹴り、だ。」



「『大内の姫は見えない世界の女帝』だと思っておる。」



「『心は亡国の孤高の姫君』。」



「デブ活と猫好きは仮の姿だ。」




驚きはてなマークえ、デブ活は仮でもなんでも………




「『何を体に入れて』大量の料理を召し上がるのか。」



「ただの大喰らいだと思うなよ(笑)」









泣くうさぎ謎を解明するなら、こんなトキメクものがいいです……

アメブロにもニホンオオカミの謎を追ってらっしゃる方がいますが、私にとっては高尚な謎でごんす

のちのちの貴重な資料になるから間違いは許されないし




「(^∇^)間違いを笑いに昇華もできぬしな!」




泣くうさぎ ねっ!

そんなことを学術界でやったら袋叩きですよ!


………あ!また忘れてた!

今日のSさんのブログのスクショコラージュに漢陽寺の記事入れてたのに!ガーン読みにくい順序になってすみません!!








驚き山口周南市鹿野の二所山田神社のそばに、漢陽寺という大内氏の祈願所の名刹があるのを見つけた。


Sさん過去に行ってないか調べたけど無くて。

お寺は瑠璃光寺と五重塔、龍福寺(大内氏館跡)[←共に山口市]、雲林寺(ネコ寺)[←萩市]、妙見宮鷲頭寺[←下松市]、麻羅観音、大寧寺[←共に長門市]と広域に渡って詣ってはいるけども

特に山口市内の龍福寺には何度も行っていました


大内盛見が1374年(南北朝時代の応安7年、大内弘世が討たれたのはその年の4月)に、臨済宗への信仰厚い父・弘世の遺志を継ぎ禅師を招いて開山した寺だそう。

(龍福寺は1206年に大内満盛が創建した時は臨済宗でしたが、1454年に大内教弘が曹洞宗に変えました。その後兵火で焼失しましたが(1551年)、1557年に毛利隆元により大内義隆の菩提寺として大内館跡に再興しました←その後も変遷がありました)




「(´∀`)せっかく鹿野に2度も来ていてなあ。」














驚きびっくりした。
Sさん、2015年5/2の二所山田神社参拝前に従姉さんが、九州の神社の下見に旅行ついでに行ってくれて
益田市のグラントワにも高千穂峡のパンフがあって

5/2当日の二所山田神社で菊尽くし

6/10から名古屋、伊勢、奈良への神社巡り旅行
7/31から九州の神社巡り旅行で、もちろん天岩戸神社西本宮にも参拝してた


有り余るほどのサインをもらってたのに、二所山田神社の御神気を見誤っていたことが驚きだよ
天つ神系ゴリ押し。しかも先に旅行に行くはずの伊勢ではなく、日向のほうが鹿野に行く前にアピってたのに



「えらい数の記事をあげていたがなあ。」



驚き二所山田神社だけで8記事。



「2021年の春分の日の再訪でも変わらずじゃったなあ(^⁠_⁠^)」


「ここまで神が情報を投げかけていて、だ。」



「クズを今でも優れた霊能者と思うておる客たちも多かろう。」




驚き知る必要のない人は、このブログのことなんて見ない……




「さて。あと3年で霊能者歴20年になるクズは、『どこから強運を引っ張ってきたのか』。」



「………こんなにも『鈍い』霊能者に、神々は重要なことなど任せられんだろう。」



「行く先々で『観光旅行』を楽しんできたのみ。」



「それも『種まき』の1つだがなあ。」











「『うむ、本当に今年は欲動く』。」




驚き高千穂峡のパンフレットの記事の………




「二所山田神社もその『先触れ』だった。」



「しかし、とんだ役立たずだと知れただけの霊能者だ。」



「掛け持ちどころか解雇だ。」




驚き2015年。Sさんはすごい数の出張旅行をこなした年だった……

10月末には関東の神社、11月中旬には京丹後。

そして、そんな中9月の末に人間関係にも波乱があったみたい………









驚き何かしらのトラブルがあったようで、遠回しな言い方になるのは当たり前かもだけど、相手のほうが悪いみたいなスタンスは相変わらず


2009年辺りがそうだった。



【相手の嫉妬が】とか。





「(´∀`)『そこ』だなあ。」