大学受かったのが12月

私は11月の頭から不登校してたのか

それからもう3ヶ月も経って

気づけばあと2週間とかで卒業


死に物狂いで勉強して、志望の高校の3ランクくらい上の高校が目指せるくらいの頭を手に入れたけど

私はやっぱり行きたい高校に行きたくて、

勧められたけど私はここがいいんですって安全圏オブ安全圏になった中一からの第1志望の高校に進学した


中学校は本当に色々あったけど、そんな中でも頑張ってたから

達成感でいっぱいになりながら、そして、高校生活への期待で胸をふくらませていた事を思い出した


その時に思い描いていた高校生活を遅れたかと言うと

全くそんなことはなくて


高校1年生

私は中学校から吹奏楽部に入っていて

初めはバスクラかクラがやりたかったんだけど

「唇の薄さがトランペッターだ!」なんて言われて、

まさかの金管楽器

しかも吹奏楽の中の花形楽器であるトランペットを任された

すんなり受け入れたのは、私も私で運命を感じていたからかもしれない笑 言い方すんごい気持ち悪いけど

大好きなトランペットを合格祝いで買ってもらって

高校の体験入部は真っ直ぐトランペットのところに行った

先輩が優しくて、いっぱい褒めてくれたけど、

え建前やーんw  って正直思ってました!笑

当時3年生の先輩が2人、2年生の先輩が3人、

そしてなんと1年生は私1人!笑

中学の時の二の舞やんけ。私また同級で同じパートにおにゃの子いなぁいってなってた。

しかも何が嫌って3年生の先輩と2年生の先輩の仲がくっっそ悪かったの。パー練とかめちゃ気まずかったよね。

初めての定期演奏会。

楽屋はパートで分かれてたから、同じパートにお友達がいない私は完全アウェイ。

唯一の救いだったのが、トロンボーンで同じ感じで同級いない女の子がいたこと。

その子とは多分、今まで出会った人の中でいちばん居心地がいいような気がするな。

定演の時も、普通の部活の時も、

当時1年生だった同級生たちはみんな居場所がなかったらしく、会場の楽屋の廊下の隅で、邪魔にならないようにまとまってご飯を食べたのを覚えてる。

それは、私たちが3年生になって最後の定期演奏会の時もそうだった。

吹部のこの代は一番仲が良かったんじゃないかな


しっかり文武両道をして終えた1年生。

死にたくて死にたくて眠れない日なんて無かった。

一日をふりかえって、後悔して、明日が怖くなることはあったけど、今よりも全然軽かったように思う。


高校2年生

もりてゃの炎上があって、まだ上手く立ち直れてない中始まった。

その時に支えてくれた子が同じクラスで、一緒にいるようになったな。

その子も、本当に優しくて、でもハキハキしてて、キラキラしてて、眩しかった。

もう1人いるんだけどね

その子は根っからの韓国ドルオタ

見た目もすっごく可愛くてね、韓国っぽいの。

肌が白くて、お目目が大っきい。黒髪でサラサラで、すごく、すごく優しい。


私が壊れ始めたのは、6月辺りからだった気がする。

なんだかずっと死にたくて

ずっと申し訳なくて

生きててごめんなさいって、思うことが格段に増えちゃって

苦しいなと思いながら、なんとか自分を奮い立たせて頑張ってたんだけど、

8月の、夏休み最終日。

勉強なんて出来ないくらい、頭の中が死にたいでいっぱいになって

どうしていいかわかんなかったから、分かんないけどずっと泣いてて

たまたま目に入った、臨床心理士の方への相談を依頼する紙。

次の日の学校、朝一で担任の先生に出した。

何となく察してくれたのか、分かったと返事をしてくれて、カウンセリングを受けました。

全部は話せなかったけど、ずっと死にたいんだと。

包丁を見ると、自殺したくなると。

誰にも話したことがないようなこと

私の心の奥の奥の、ずっと隠してきた、弱い部分をさらけ出した。

病院に行くことを勧められて、親にも話した方がいいと助言を頂きました。


その日の夜、初めて死にたいと思っていることを親に話した。

案の定泣かせた。

泣きたいのは私の方だった。

命懸けで産んでくれたのに、死にたいなんて思ってごめんね。

生きる価値を見い出せなかった。どう頑張っても。


1回目に行った病院。

上手く話せなくて、考えすぎないようにねっていうことだけ言われて終わった。

自分のことを話すのって難しい。

だから、こうやって文章を書くことにした。

アメブロを知るまではアプリのメモ帳に書きなぐってたよ。


私がここに書いているのは、ある種の自慰行為。

こんなの見るのはもう、物好きでしかないし、誰かに届けたいから書いてるわけじゃないことだけ、ここに記しておきます。

頭に浮かんだことをぐちゃぐちゃ書いてるだけだから、こうやって話が逸れることもあります。

もし、私が自ら命を絶ったときに、誰かがこれを見つけて、

私の遺書だと思っていただけたらという気持ちで書いてる。

誰にも見せたことの無いような、性格が悪くて、弱い私。


2回目に行った病院。

この病院を見つけたのはお母さんで、たくさんの病院に電話をかけてくれたらしい。

症状を話して、「ここでは取り扱えないです」ってたくさん断られて、やっと見つけた病院。

ここは本当に自分に合ってたなと思う。だから、ありがとう。

2月の学年末テストが終わったと同時に、気が抜けたのか一気に体調とともに精神の疲弊が激しくなった。

思えば夏からずっとおかしかった。

高2の11月のどこか、なかなか寝れなくて、目が冴えちゃって

死にたい気持ちが爆発して、でもそれを何とか抑えたくて、

咄嗟にものを投げた。

それが引き金だった。

気がつけば部屋の家具とかも倒してて、やってしまったと思いながらも、どうでもいいやみたいな気持ちもあって、

何度かリスカもした。

それでも擦り切れてくのはずっと私の方だった。

2月のどこかで、1週間休みなさいと、保健室の先生から助言を頂き、1週間休んで、散歩とか、精神安定に徹してた。

その時に、例のキラキラしてる友達が気にかけてくれて、電話かけてくれたり、会いに来てくれて、話聞いてくれたりして、

その子が帰ったあと、嬉し泣きが止まらなかった。

こんな私を気にかけてくれる子がいた事が、心の底から嬉しかった。ありがとう。


なんとか進級した高校3年生。

春休みの宿題で大学調べがあったけど、

高2の2月の病院に行って以来、課題は出さなくてもいいって話になったから特に出す必要はなかったんだけど、

大学には行かなきゃと思ってたし、ちゃんと調べようと思って調べたの。

その時に、私英語を本格的に学びたくて、貧困や紛争で苦しんでいる人たちを助けたいと思ってることに気づいたの。

何となく探究活動で調べて、発表したことで、世界情勢の現実を知ったから。ボランティアとか、そういう活動で、誰かを救えるような人になりたいと思ったの。


『Be a giver』


大好きな人が作詞した歌詞です。


与えられることが多かった私が、誰かに何かを与えられる人になりたいと、中2からぼんやりと思っていたものが、はっきりとした目標に変わった気がした。


行きたい大学、学びたいこと、したいこと

全部出来そうな大学を見つけたの。


私立大学だった。


本当に優秀すぎる姉は、後期まで粘って、辛い思いしながら国公立大学に行きました。


国公立、地元の国公立に行かなきゃいけないけど、どうしてもこっちの大学に行きたい。


怒られるかも、なんて怖がりながらも、それぞれの大学の4年間の学費を計算したり、立地や学ぶことを比較して、両親に話した。


「私立大学に行きたい。ここの大学で4年間学びたい。」



怖がる必要なんてなかったみたいで、

2人は そう言うと思ってたよ と快く許してくれた。


奨学金を借りればなんてことないと強く強く背中を押してくれた。


行きたい大学ができて、それがモチベーションになったのか、6月7月までは、積極的に塾で最後まで自習したり、週に何時間勉強するか目標を立てて勉強したりしてた。


でも、思っていたより自分の心が潰れてきていたことに気づいたのは、遅かった。

また、8月。

ずっと泣いてた。

毎日目眩がしてた、頭痛がしてた、胃が痛かった、死にたい気持ちが、前よりずっと大きくなった。


無気力で、でも眠れなくて、色々と面倒になって、自暴自棄になって、9月の末。

まだ暑かったのに、リスカした。

共通テストの申し込みも、お金の振込すらしてなかった。

手続きの紙すら書いてなかった。

その時には指定校推薦を貰ってたから、あまり大事にはならなかったんだけど、お母さんがテンパってるの見ても、他人事にしか思えなかった。


全部ぶちまけなさいと強めに言われて、何故かイライラしながら、悲しくなりながら、申し訳ないと思いながら、支離滅裂な、めちゃくちゃな気持ちを吐き出した。

大声で、ほぼ叫んでた。


死にたいんだと、もう疲れたんだと、自分がこの世で一番醜くて、1番死んで欲しい人間なんだと。


そこから、ちょこちょこ学校を休んだり早退する日が増えた。


動悸が止まらなかったり、破壊衝動や、急に叫びたくなる衝動に駆られたり、気持ち悪くなったり、頭の中で自殺の計画を立てたり


耐えきれなかった。

それを察した友達が、午後登校してみたらと提案してくれた。

午後登校したら、休んだり、


だんだん休む日の方が増えていった。


午前中学校に行けたとて、動悸や破壊衝動、気持ち悪さに耐えられなくて2限まで受けて帰るなんてことばっかしてた。

受験の日まで、精神を安定させることを第一に、無理に学校に来なくてもいいよって言われてからは、ほぼ学校に行ってない。


違うな、そこから私、不登校になった。


安定したり、不安定になったり。

病院の先生とお話して、共通テストは受けてない。


自分の心を守りながら生きてたつもりだったけど、

家にいても、学校にいても、

私ってやっぱり、変わらなかった。

苦しい日々は、ずっと続いてる。


大好きなグループが、2年ぶりに完全体になったり、もう1人、心の支えと呼べる推しが増えたり。


自分の外見だけでもマシにしようとお金かけてみたり


大学に入学するまでには、朝の苦しい時間を無くしたいな。





大丈夫だよ

私、ちゃんと生きてる。


ただやっぱり、




すごくすごく、辛いかもしれない、苦しいかもしれない。


自分が嫌いな気持ちは、変わらなかった。




卒業式に出るのは怖い。

たくさんの人がいるから。


あぁ、本当に怖い。

自分のことなんて見てないって、分かってるんだけど。

大勢の人がいることが怖い。




私は、


もっと強く生きたい。



もっと、もっと優しい人になりたい。




なんだか色々苦しくなって吐いた、僕の心の自慰行為です。