



2日に「倒れた」あとの7日間、夜は私の足元でぐっすり寝られてたんです。
早朝に起き出して水を飲みにいく、というパターンでした。
ところが、亡くなる日の前夜は、1時間ほど寝ては起きての繰り返し。
よろよろと家じゅうを徘徊。
細いすきまに鼻を突っ込んでじっとしてる……という行動が目立ちました。
今にして思えば、激痛ではないにしろ、
身のやり場のない痛みがお腹にあったのかもしれません。
それと、それまでの7日間と違って特徴的だったのが、
前日の朝以来オシッコがなかったこと。
看護師である次女は、そのことを一番気にしていました。
水は飲むんだけど、口から吐いてしまうので、
下から出すものはなかったんでしょうけど、
それが一つのサインだったのかもしれません。
でも、あいかわらずあちこち歩けてるし、
今にも死にそうってふうにはどうしても見えなくて……
だからその日、ばばのうちに来てから
全然外へ連れてってもらってない○太郎がちょっと不憫だったので、
トミカ博へ連れてってやることにしたのです。
リッキーのことは次女に任せて、車で片道45分ほどの場所へ。
帰ったのは1時半ごろだったかな。。。
尿も便も出ない、
食べ物はいっさい受け付けない、
という事実を目の当たりしながらも、
まだ寝たきりではなく、伏せの姿勢で顔をあげ、
ときおり歩き出すリッキーを見てると
正直、とても今日明日に逝ってしまうようには見えませんでした。
ただ、吐くときがとてもつらそうなので、
病院で吐き気止めの注射でもしてもらえないだろうかとか、
考えていたところでした……
そして午後3時半ごろ、
前夜の睡眠不足と午前中のドライブで疲れてうとうとしてた私。
ふと、友達から携帯にかかってきた電話で目が覚めました。
旦那伝いにリッキーのことを聞いた友人が
心配して電話かけてきてくれたのでした。
「明日リッキーの顔を見に行ってもいいかな」という友人と電話を終え、
それから5分ほど経ったころ、
リッキーがまた苦しそうに吐きだしました。
(偶然とはいえ、電話で私を起こしてくれた友人にもオドロキ)
ちょっとここからは生々しいお話しになります。
――――――
オエッオエッと少量の茶色い液体を吐いてまた倒れましたが、
今回はいつもと違うのを本能的に感じました。
何より違ったのは便が出てきたこと。
最期の時にはそうなることを、ネットで読んで知っていました。
黒いねっとりしたタールのような便。
ああ、ついに来たと感じた瞬間です。
でも、呼吸ってピタッと止まるわけじゃないんですね。
5分にも10分にも感じたけど、
まだ胸がかすかに上下してるし、鼻から息も感じるんですよ。
私と娘たちはリッキーの身体を撫でながら、
命がフェイドアウトしていくのを静かに見守るしかありませんでした。
もうじき3歳の〇太郎はその時どうしてたのかあまり記憶にないけれど、
たぶん、あっちにいって遊んでなさいって言われたのかな、
子供心に何か悟ったのか、ちょっと距離を置いてたような……
――――――
11月に余命宣告されたあと、
12月は薬のおかげでものすごく元気だったし、
まだまだ何か月も頑張れるんじゃないかと思ってました。
事実、元旦まではホントにいつもと変わらず元気で食欲もあったし、
「あしたみんなが来るから綺麗にしておこう!」と
元旦早々シャンプーしたぐらいなんですから![]()
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それに2日に吐いて倒れたあと、
9日間にわたって何度も同じように吐いて倒れたけど
そのたびに復活して水飲みに歩きだして……の繰り返しだったので、
お迎えは近いとは思いながらも、
その日だとは予想していませんでした。
でも、午前中留守番してた次女によると、
伏せで顔あげた姿勢は、そうしなければ呼吸が苦しかったからだろう……
ってことなんですよね。
だから、次女は私よりもずっとその時が近いことを察してたみたい。
リッキーは鈍い母さんのこと、しょうがないな~と思いながら
トミカ博から帰ってくるのを待っててくれたのかもしれません。
呼吸がついに止まったのは午後3時45分ごろでした。
最期を見届けたという納得の気持ちと共に、
この辛い記憶をどう処理していこうかという戸惑いもあります。
だから今は、
元気だったころのビデオを見てから床につく毎日です![]()
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リッキー、いつか夢に出てきてくれるよね![]()
2014年夏、14歳、キャンプに行ったとき
羊蹄山をバックに~悟りを開いた顔(?)のリッキー