拝啓

愛しお空のきちさん





いかがお過ごしでしょうか?


きちさんがお空に旅立たれて

今日で1年が経ちます。

今日の地上は青空が広がってて

きちさんがよろこびそうな夏日です。





1年前の今日

きちさんを病院までお迎えに行って
帰宅してすぐに届いた酸素室の箱を見て
「あと1日、早く手配できたら...」と
哀しくて辛くてどうしようもなくて
打ちひしがれたこと。


こんなコロナな世の中じゃなかったら
せめてきちさんの大好きだった
お外を眺めながら旅立てたのではないか、と
今でも思い出すと胸がいっぱいになります。




あの日、病院帰りに寄ったリハんぽ公園。
何気なくしゃがんだ場所で
探さずとも目の前に魅せてくれた
かわいく並んだ四つ葉。

誰かにも見てほしくて
摘まずにそっとしてきたけど
今もこの写真を幾度も開きます。





きちさんの闘病介護は
ぱんつと重なる部分がたくさんありました。


カメであるタフが故の辛さや苦しみ
たくさんたくさんあったことと思います。



トータルで見ると闘病も1番長かったし
病院も5軒いったもんね。
ほんとにほんとにがんばってくれたね。



昔からずっと綴ってきたけど
きちさんはほんとに
穏やかでやさしすぎる子で
誰とでも仲良くできちゃうから

我が子たちだけでなく
保護っ子や預かりっ子たちでも
唯一、安心して会わせられる子でした。





そして
我が子たちみんなを見送って
最期までわしのそばにいてくれました。


きちさんだけは
本気で永遠に一緒にいれるんじゃないかと
どこか錯覚していたとこもありました。



当たり前だけど
きちさんもちゃんと「命」だったね。
...当たり前なんだけどね苦笑


ぱんつが旅立った後も
みどちゃんが旅立った時も
おかゆが旅立った時も


きちさん自身には
その気は全くなかっただろうけど笑


わしはきちさんの存在に
どれだけ救われたかわからんです。




1987年5月、わしは物心ついたくらいの
まだ鼻くそ垂れてた頃だったけど

じいちゃんに道路で拾われた当時
顔面も甲羅もぼこぼこでしっぽもちぎれてて
子供ながら衝撃的だったからよく覚えてる。




その後遺症で顔は凹んだままで
左目は生涯見えないままだったけど
そんなことを感じさせないくらい
穏やかに健やかに育ってくれました。

(手元にあった最古の写真は1989年
右にいるのがきちさん
「プーさんかよ」な配色がわし
わしに包まれてるのが今は亡ききち嫁さん)


当時から完全黒化体のわしより余裕の歳上で
結局40歳以上てことしかわからんけど
長い年月ずっとそばにいてくれて
感謝しかありません。



きちさんにだけは
なんとなく「おかあちゃん」ていうのが
おこがましい気がして
「わし」になりました。


もはや老vs老ですね。


きちさん

もし生まれ変わって
もしもまた我が家に来てくれるなら
カメ以外でよろしくお願い申し上げます。


うちは跡継ぎがいないのでね。
来世もカメだとちょっとお迎えできません。




きっときちさんは何に生まれ変わっても
またきちさん語が似合うような
硬派で紳士で寡黙で照れ屋で穏やかで
とびきり優しい子だろうなって思ってる。


やだ、もうタイプすぎるので
「来世では結婚してください」

...ついにまじの公開プロポーズになった。




「お空の我が子ひとりにだけ
1日会える夢のチケット」を手に入れたなら

わしは迷わずきちさんにGOします。


その夢チケ取得が
春なら「ほげー」と桜を見上げて
夏ならプール開きして
秋なら落ち葉を踏みに行って
冬なら一緒にこたつでごろ寝かな。


そんな妄想で
白飯5杯はいけそうです。



洗濯物畳んでたら
お邪魔虫してくるきちさん。


洗い物やごはんの準備してたら
台所を覗き見しに来るきちさん。




布団にぬっころがってたら
通過していくきちさん。



衣食住共に過ごしたリビングには
きちさんとの想い出が溢れ返ってて

耳を澄ませば、きちさんが奏でる音たちが
今も聴こえる気がします。


毎日幸せだったなぁ。
ほんとに幸せだった。


ぱんつとみどりと暮らしてた頃も
トリオ時代もものくろんズ時代も
幸せすぎたなぁ。


胸のぐぎゅーん、がとまりません。




これ以上綴けても
きちさんとの想い出は語り尽くせないし
きっと同じことリピートするだけなので
そろそろ〆に入りますね。





「クサガメを愛でてる」って言うと
モルやインコ以上に
冷ややかな反応が返って来ることは
日常茶飯事だったけど
それに対してとくに怒りや哀しみが
わいたことはありませんでした。



きちさんと一緒に暮らしてるのはわしで。
そのわしがきちさんを大切で
愛おしい存在だと思っていれば
それで充分だと思っていたからです。


けど、ブログやツイッターを始めて
たくさんのカメさんを愛する方々に出会い
同じ想いの方がいてうれしかった。



カメさんとご縁のなかった方々からは
「きちさんを見て
カメも感情があるのだと知った」
「カメがかわいいと思うようになった」と
そんな言葉を頂いてうれしかった。

きちさんが、カメさんが、
他の誰かにもそんな風に想ってもらえたこと
わしはとてもうれしかったです。



もちろん好きや苦手はそれぞれで
それ自体を押し付けることでないことは
重々わかっているから。

この想いや感情は
一言ではとても現せないけど 



クサガメやアカミミガメが
その存在だけで
疎かにされたり蔑ろにされたりしない
やさしい世界になるといいね。



「でかくなった、くさい、飽きたetc...」
その理由だけで、手放されてしまう。

「逃した、放したetc...」
という名で、川に捨てられてしまう。

「放っておいても大丈夫etc...」
そう言って、お世話を放棄されてしまう。


これまでもたくさん見聞きした
かなしい言葉たち。



それに対して
「捨てないでね」「お世話してね」と
声をあげて伝えることも
もちろん大切だけど




わしはこれからも
カメはこんなにも感情豊かでやさしくて
一緒に暮らせてこんなにも幸せだということ
わしなりの形で伝えていきたいです。


きちさんとの想い出と
これまた17年前に道路で拾った
かめこさんことふたちゃとの日常を通じて
伝えていきたいです。





一瞬で過ぎ去る掌サイズ時代から
長い長い両手オーバーサイズ時代を過ごす
おまいさんたちが
ずっと家族に愛されて過ごす未来が続くこと
それが当たり前になるように。


そして、誰しもにいつ訪れるかわからない
「もしもの時」には
根気強く信頼できるあたたかい里親さんを
探してもらえること
それが当たり前になるように。



カメを愛するみんなと一緒に
伝え続けていきたいです。



きちさんがこんなにも長い年月をかけ
そのカッチカチのかっこいい甲...背中で
わしに教えてくれたこと

きっとこれ以上のことを
後にも先にも教わることはないでしょう。





きちさん、
33年間共に歩んでくれて
ほんとうにありがとうございました。






あなたはわたしの教科書であり
永遠の相棒です。

                敬具
               わしより