前回に引き続き、仙台藩のお家騒動『伊達騒動』でございますが
今回は、伊達騒動OF伊達騒動である『寛文事件』についてです。伊達騒動におけるメインディッシュでございます。
3代目藩主綱宗公の隠居騒動のあと、亀千代君こと綱村公(当時2歳)が藩主の座に就いてから、一関の大伯父様「伊達宗勝」が幅を利かせるわけですが
組織というのは筋を曲がればあちらもこちらも曲がるもの。
ほら見たことかといううちに、藩内で一族間の喧嘩がおきてしまいます。
赤コーナー「涌谷伊達氏」伊達宗重~
青コーナー「登米伊達氏」伊達宗倫~
(一関の宗勝の甥っ子。宗勝派)
この二家の間に、『谷地騒動』と呼ばれる領地争いが起きます。
いったんは「谷地」を涌谷の宗重が3分の1、登米の宗倫が3分の2とする案を受け入れて、ちゃんちゃんとなるかと思いきや
やっぱ納得いかねえよと、涌谷の伊達宗重公が
『なんかぁ、最近の宗勝派?勝手がすぎるんですけどぉ』
と、幕府へ上訴してしまいます。
不穏な上訴をいただいて、幕府が検討しますことに、何やらどうしてどうしてやっぱ宗勝、勝手すぎない?ってことで正式に事情聴取の場が設けられます。
実際にどうなの?ってことで、呼びだされたのが
柴田朝意(しばた とももと):宗勝派
仙台藩重臣で当時6人いた仙台藩奉行の一人。
通称:柴田外記
原田宗輔(はらだ むねすけ):宗勝派
仙台藩重臣で当時6人いた仙台藩奉行の一人。
家柄は立派だけど実力不足で宗勝にビビりまくって言うこと聞いてた人。通称:原田甲斐
伊達宗重(だて むねしげ)
宗勝派の勝手を幕府に訴えた涌谷伊達氏
最初の谷地騒動も、ホントはこの方の主張のほうが正しかったのよ。
1度目の審議で、まずは4代目藩主である伊達綱基(後の綱村)公へのお咎めなしが決定。なにせお子ちゃまだからね。
この最初の審議で、柴田君と原田君の証言に食い違いがあったもんですから、「誰か~っ。なんかこの人たち言ってること違うんですけど~!」てことで、新たに奉行の一人が呼び出されます。
古内義如(ふるうち よしゆき):奥山派
仙台藩奉行。失脚に追い込まれた奥山派の人として宗勝公からは前から目をつけられている人。通称:志摩
新たなメンツを加えまして、仕切り直しの2度目の審議が執り行われることに。場所は江戸の大老(酒井忠清)宅。大老酒井をはじめ、老中の皆様方が勢ぞろいの上に幕府の大目付が参加という場となります。
ところが
審問が始まっての控室において、順番待ちの宗重公を
原田君が突然切り殺しちゃいます。(何この子、怖い)
しかも、そのまま審問中の老中のいる部屋に突撃。
『何なのこの子~!?』
ってことで、その場にいた柴田君も
「うちの子なにしてくれんのー!!!今取り押さえますからあ!!ああああ!!!』
的に原田君と切りあいに。
『ちょっと、何はじまっちゃたの~!!』
ってことで、その場にいた聞き役の方も一人も柴田君に加勢。
まさかの切りあいになりますが
『ちょ・・・うちに偉い人が集まってるとこでヤメテよう!!』
ってことで、パニックになった大老の家臣に乱心の原田君ともども、止めに入った柴田君と聞き役さんの3人とも切られてしまい、翌日までに全員絶命。
なんつー壮絶な ( ̄ー ̄;
さて
大変なことになりました。
裁判の最中に、被告も原告も、証人も聴聞官も死亡という大惨事ですよ。身内による喧嘩の訴えが、まさかの大事件に発展です。
なんぼ藩主が幼いったってタダじゃすまない事態です。
あわわわわ。
仙台藩の皆様の、なんぼ肝が冷えたことか。
けっきょく
4代目藩主は幼少を理由にお咎めなしとなりますが、刃傷沙汰を起こした原田家は当然ながら、多くの宗勝派が処罰されます。
とくに、事件の根源であり藩主の後見人であった一関藩主の伊達宗勝は、一関藩改易となります。
今風に言うなら株式会社伊達グループ主力の株式会社一関倒産。みたいなことですよ。
この、藩内の領地事件に端を発して大老宅での刃傷事件からの一関藩改易という大事件がいわゆる『寛文事件』ともいう、伊達騒動のメイン騒動です。
だいたい、財力やら権力やらが大きいと、残念ながら身内においてすら権力争いがおきて、ほぼほぼ誰のトクにもならないなんてことは、現代においても某大手家具屋の親娘喧嘩見ても知れるってもんです。(今季62億の赤字だそうですよ。)
一関の伯父様、おとなしくしときゃ良かったのにね。
驕れる平家は久しからず。蘇我入鹿の時代から、大先輩が身をもって示してくれてきたのに、平家を討った源氏側の家からこんな結果が出るのは残念ですね。
それでは本日はこのへんまで。
しからば、ごめん!
【政宗公大好き!共感ポチお願いします】
【もひとつ参加。両方押していただければ幸い】
