若くして隠居に追い込まれた3代目藩主の綱宗公。
家督を譲られて4代目藩主となったのが嫡男の伊達綱村公こと亀千代くん。当時2歳。数え年なので実際には1歳かな。
2歳ですわよ?
下品な表現でございますが、何がおきても自分でケツのふけない年齢でございます。
そうすると、『オレが、オレが、オレが!』
って感じで、あの一関藩主の伯父様伊達宗勝が幅を利かせるわけですよ。ほうらね?って、感じよね~。
このあと、宗勝公とお奉行職(仙台藩では御家老職相当)にあった奥山氏が実権をにぎってブイブイいわすわけですが、この奥山さんはまもなく失脚。
宗勝伯父様は、奉行職の目付役に奉行職以上の職権を許して権力を集中させます。
仙台での奉行職ったら、かつては茂庭綱元も就いた御家老職のことですよ。御家老以上の職権を別な役職に与えたってことで、むちゃくちゃなわけです。
『それ以上いけない』
を、当時進言した家臣を跡目を認めず断絶に追い込んだり
席次の問題がまさかの後を引いて伊藤家一族の処罰問題を起こしたり。
権力争いのいざこざが絶えず、ガッタガタな状況となります。
本社社長が正しくその座にあればこんなことにはなりませんが、いかんせん当時の社長は亀千代くん2歳。
スジってのはどこか曲げれば、あっちもこっちも曲がるもんでして。
足が攣ったまんま真っすぐ立って走ることができないのと同じ状況が組織にもおきるわけですにゃ。
そんななか、いよいよもってな事件が起きて宗勝伯父様も失脚します。
『奢れる平家、久しからずや』は、いつの時代もそうなんですが、権力を持ちたい方ほど忘れてしまうんでしょうね。
さて
宗勝伯父様をピンチに追い込むこととなる「涌谷伊達家」と「登米伊達家」との領地争いから始まる事件については、また次回にしたいと思います。
しからば、ごめん!
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