政宗公の居城があった岩出山へ、友人と二人しての日帰りトリップ。
現地最後は居城のあった城山公園へ。
伊達家代々の居城米沢を去り、この地へ左遷となった政宗公。居城の支度は、まだ天下人となる前の家康公が整えてくださったそう。当時は岩出沢という地名だったようですが、政宗公が岩出山に名を改めたとか。屈辱に謀反もありえる状況を説き伏せたのも家康公とか。我慢してよかったね。
夏草や ツワモノどもが夢のあと
そのまんまの風景ですが、城跡である城山公園に上がってくる道の厳しさに、まさにここが戦時代の山城であったことを感じさせてくれます。
(私のドライブテクニックでは対向車が来たらもう謝るしかにゃい。)
階段も、こーんなですよ。
上ってきたらもう帰りは滑り台にしてほしいよね。
岩出山に居城があった12年間。実は政宗公はほとんど京にいたから、実質いたのは数か月。そのあとは仙台の青葉城に移っているのよね。
ここに城があったんだなって、実感できる景色。
御城下が一望できます。
政宗公の居城だったのが12年とはいえ、岩出山はやはり城下町だったんだなあという独特の雰囲気があります。
そこかしこが美しい。
もちろん、初代岩出山伊達家である4男の宗泰公以降も脈々と守られえ来た土地だからなのでしょうけれど。
ですよね?政宗公。
この城山公園には政宗公の立像『伊達政宗平和像』があります。
仙台市にある青葉城の騎馬像が有名なので、知らない方も多いのですが。
実は、青葉城にいまある政宗公の騎馬像以前に青葉城にあったのがこちらの立像。ちょっと驚きますよね。
かつて青葉城にあった初代の政宗公像は、戦時中に国から召し上げられてしまったのでした。金属不足のために!失礼な話よね。礼儀も何もあったもんじゃないわ。やっぱ戦争は人を貶めるわね。
その後に平服姿で新たに青葉城に設置されたのがこちらの『平和像』だったのですが・・・
いかんせん以前の殿の姿がまぶしすぎて、若干市民には不評だったとか。いや、これはこれで、あの、それはそれで、まあ・・・ね?
( ̄▽ ̄)
そうこうしているうちに、以前の像の鋳型が見つかって、現在の騎馬像が青葉城に設置されるに至り
こちらの立像は、かつての居城があったこの岩出山の地に移されたってわけです。(昭和39年頃のこと)
ちなみに、初代の像もその後に上半身が見つかって(って、おい!下半身どこいった!!)
胸像として仙台市博物館に設置されています。(これはこれでカッコイイ)
平和な世を見守るリラックススタイルの政宗公もまた、悪くないですよね?
こんな顛末で岩出山には政宗公の像が2体もあるわけです。
(もう片方は仙台駅にあった待ち合わせスポットとして活躍した騎馬像。有備館駅にあります。)
それでは殿、失礼つかまつります。
しからば、ごめん!
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