先日の10月15日、日曜日に
ラジオ『FM仙台』で、どうしてもどうしても、どーーーっしても聞きたい番組がありました。
「みやぎスマイルプロジェクト『宮城の歴史さんぽ道』」特別編:今、明かされる政宗公と母義姫の知られざる深い絆-伊達政宗毒殺未遂事件と弟小次郎手討ち事件の真相-。」
タイトル長っ!!( ̄□ ̄;)
けどけど、主婦ってさ
夕飯だのなんだのかんだので19時くらいのラジオをリアタイで聞くの、難しいよね~。
しかも、開始時間を終了時間の19時50分からと間違えていて
ほくほくと正座して慣れないラジオを頑張ってつけてみたならば・・・
『・・・を、お送りしました~。』というアナウンス。
もう、もうもう、正座したまま
ぱたりと横に倒れたよね
(´;ω;`)ブワッ
しかし、娘ちゃんが助けてくれたのよ。
『お母さん、私、携帯のアプリでラジオクリップしてあるよ。さっきの番組も聞けるよ。』
えええええ
そんなんできんのー!?( ̄□ ̄;)!!
すげえなアプリ!でかしたアプリ!!
娘ちゃん、ありがとーーー(≧∇≦)
佐藤憲一さん(元仙台市博物館館長)による歴史の謎解き。
ゲストは宮城女子学院大学の現代ビジネス学部長、宮原育子教授。(優しくてとても素敵な女性なのです。)ほか。
もうもう嬉しくてにまにましながら聞いてました。
大筋で話すと、伊達政宗公の母君、義姫(よしひめ)による政宗公の毒殺未遂事件、ひいては弟小次郎斬殺については
そもそも小田原三陣を目前にした政宗が、自らが不在中に小次郎派と政宗派で内戦でもおきちゃったらどうしようか・・・っていう心配から端を発した狂言ではないかというお話。
義姫は可愛い息子の政宗公に毒なんか盛らなかったし
小次郎は実は江戸の寺で生き延びていたのではないか
っていうお話でした。
この件については、同内容を以前にこのブログでも取り上げていますが、そうした新説が出てくるきっかけになった手紙を、佐藤健一さんが発見したのだとか。
あああああ良かったねえ。
愛され政宗で、ほんと嬉しい。
ただ、江戸の寺に存在したという政宗公の弟を名乗っていた坊様。私は輝宗公が側室に産ませた弟のほうではないのかなあ・・・とずっと思っていたので
本当に小次郎が生きていたのなら、こんな嬉しいことはない。
真相は謎ですが
諸説あって、それぞれに浪漫がある。
ううう聞けて良かった。
毒殺事件が狂言であるなら、義姫が毒殺事件のあと何年も岩出山城に残っていたことも
最上に帰った後にも登米を化粧地として政宗公が認めていたことも
最上家が改易となった後、義姫が路頭に迷うことのないように、青葉城に呼び寄せたことも
全部納得いくもんね。( ̄▽ ̄)
秀吉の命で朝鮮に出兵していたときにも
母からは手紙と金子が送られ、政宗公からも手紙と土産の錦が送られたってんだから、殺し殺されな親子関係ではなかったはずよね。
逆に毒殺未遂が事実であれば、そいでもこんなに尽くしたんかい!って、めっちゃ泣きたくなる。
判官贔屓な日本では、そっちのがウケる気もする。
けど、義姫とは仲良し。小次郎生きてた説のほうがよほど説得力ある。と、思う。
(すると、登米にある小次郎の墓にはどなた様がおいでなのかしら・・・??)
謎はひとつ解けると、次のひとつを呼ぶわね。
それもまた
浪漫だわ。浪漫。
ね。
ところで、FM仙台では伊達武将隊の政宗様がパーソナリティを務める番組があるのだけど
今まで時間があわなくって聞けなかったのよね。
娘ちゃんにラジオクリップできるアプリ、教えてもらおうっと。
ああ・・・毎週の楽しみが増えちゃう!困るなあ。
しからば、ごめん!
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