私たちJWはパラダイスは地上に到来するという信仰があります。
ただ、その最大の根拠は信頼できる「出版物」に書いてあるという点だということです。
地上のパラダイスという理解はあくまで「解釈」なので、今後絶対に「漸進的な理解により」変更することはないとは言い切れないですね。

では、「パラダイス」は地上に来るという「先入観」を一旦捨てて考えてみましょう。
ギリシャ語聖書にはパラダイスという言葉が3回出て来ます。ルカ、コリント第2、啓示の3箇所に。
この3箇所全て、パラダイスが天と結び付けて書かれているのです。
この点に関して出版物を見ると、あーでもない、こーでもないと説明しているが、純粋に聖書を見れば、明らかにパラダイスと天が密接な関係にあると分かる。
やさしく言ってしまったが、はっきり言わせてもらうと、この聖句達を読めばパラダイスは天にあると考えるのが妥当な訳です。

とりわけ注目すべきは、ルカの書。
イエスは「あなたは私と共にパラダイスにいることになります」と、一緒に杭にかけられた犯罪者に告げました。
ということは、イエスはこの後天に戻られたので、パラダイスは天にあることになります。
でもJW組織は地上のパラダイスの教理を曲げられないので、天に行くためには「水と霊から生まれる」必要があったから、この死刑囚は天に行くはずはなかったと主張するわけなのです。

いやいや、そう述べたのは、以前ある人に「あなたの罪は許されている」と述べたことがある、他でもないイエスですぞ? さんざん悪いことをしてきても、死の間際悔い改めて信仰心を示した人を、杭に掛けられていて現実に受けられない水のバプテスマを飛ばして、天のパラダイスの希望を差し伸べられたとして何の問題がありますか?
天に行く人が、限られた特別な王になる者達で、地上のパラダイスはその支配に服する民という解釈を前提にするから、素直に聖書を読むのではなく、回りくどく解釈し、分かりにくくするのです。
パラダイスは天にあるとして、聖書を読むならば、いろいろストンと落ちませんか? 
ギリシャ語聖書(新約聖書)は天に行く希望の者のみに対して書かれた本ですよ? 「大群衆」とかピンポイントで出て来る、解釈が全ての存在によって、地上のパラダイスに希望を持つなんて、ハイリスクだとは思いませんか? 
ヘブライ語聖書(旧約聖書)には地上の楽園を連想させる記述がある、ですって?  聖書が得意な比喩、誇張、強調表現と考えるのが普通です。

もちろん、私にはパラダイスがどこにあるかなどの、絶対的な答えは分かりません。っていうか、人間誰しもわからないんです。 実際あなたも、本当のところは大きな❓(ハテナ)マークなんですよね? 
であるならば、あなたの大切な人生を8人のおじいさん達に預けてもいいんですか?

今更もう遅いから、ほっといてくれ?      
確かに…… すいません