会社に勤めていて、まぁ嫌な人の1人や2人いる訳で

だけど、そんな人たちとも接さない訳にはいかない。

ましてや、そんな人に指導する立場になってしまうと…真顔





けど、今はなんやかんやで上手く交流できている!と思う!!




今回のテーマは自分のエゴ!

これが強すぎたが故に、全てにおいて自分を苦しめていた。という話。







この4月から、ある人を指導する立場になった訳だが、あまり普段からその人との交流はない。

そして、これまでの経過の中で、あまり人の話を聞かないタイプ、なんかツンケンしてる、あんまり反応が返ってこない、すぐあきらめる。など、正直あまりいい印象になかった。

治療においてもあまりいい印象を持つことのできない人でもあり、それは保護者からクレームとしてあがってきたこともあった。

ということで、今回指導する立場になりました。






もう指導役に任命されたときの愕然とした気持ちよ。

ほんと全てを放棄したくなったのを覚えている。




そして立場的には上だけど、年齢的にはかなり自分は下だという、凄くなんとも言い難い感じ。ほんとヤダ。





話の場を持つその前から、気持ちが沈むのがわかる。



あー、こういう感じで指導したら、どうせこう言われるやろなー。どう言ったら納得するやろなー。めんどくさいなぁ…!てか、もうこの年数なんやったら出来ててくれや!!もぉー…でもとりあえず、どうやったら聞くかなー?こうかなー。これはあかんなー…。




以上!こんなことの堂々巡りである。




そして意を決して、話の場を設けて、実際に話をする。

(この人は前回の指導者にキツく当たられて、やさぐれてるから、なるべく優しめに…)

と心に念じながら話を進めていく。表面上の言葉は丁寧に話しているが、内心苛立ちが、すごい。そして、とりあえず伝えたいことは伝えるが、結果としては、全くこちらの意図を理解していないということが後で分かる。


ダメだこりゃ!!







そういうことを何度か繰り返しつつ、その度に思う話し合いの場の前のこの準備でのモヤモヤ。これは無くしたい!!そう思った。

そこで、私がしてしまっていることを考えてみた。





  1. 指導するという立場を意識している。(普通に人と人として、接することすら、あまりしていないのに)
  2. 指導をしなくては!と思っている(その指導も何を指導するかは、本人と確認しながらではないと、効果がない)
  3. 自分の伝えたいことへのリアクションを勝手に求めている(実際に話してみなくては分からないのに、自分の中の相手像を妄想し過ぎている)
  4. やってみなきゃ分からないことを永遠に妄想を繰り広げている(自分はその人に苦しめられていると思っていたが、本当は自分の中の妄想ワールドに苦しまされているだけ)
  5. あとは、姿勢的なところでいうといい子ちゃんぶる時の身体の反応がでている



さて、この5つのこと全てに当てはまることは何か。
それは相手に伝えたいという私のエゴがあまりに強く出ているということ。






私とその人との間にある確実なことはなにかといえば、ただ同じ職場におり、共通の仕事をしているということ。ただそれだけでありそれ以上でも以下でもない。

その人は自分の仕事ぶりについて、どう思っているのかも知らないし、自分をどう評価しているのかもしらない。
ただその人以外の職場の人は評価していないというのは事実。
それもどのくらい伝わっているのかも知らないし、どう思っているのかも知らない。



つまり!その人のことを私は何もしらないのである!!




そして私の思惑や、私のその人へと使命感等についてもおそらくその人は知らないであろう!!










ときに私たちは、やらねばならぬ事を優先しすぎてしまい、その結果に急ぐ。
だから、そこにある真の目的や思いを置き去りにする。

私は、その人を同じ職場の人間として助けたいと思ったし、それによって職場がいいようにいくといいと思った。つまり本心としては、その人に対して、悪い思いはないのである。


だが、これまでの経験のなか、自分の思いが伝わらないかもしれないという恐怖心に負け、その人を悪に仕立て上げる。更に自分は頑張っているのに…と善人立てる。


そんなエゴが発生する。


そうすると本心は薄めいていく。


そこに相手がいなくなる。


余計に伝わらなくなる…。


負のループだ。






そんな、エゴを拭い去り、本来自分の持つ相手への思いを1番に話し合いの場を持つ。







あら?不思議!
なんとスムーズ!!そして、今まで黙りこくっていた、その人が口を開く。
なんだか、やっと会話ができた気がする。
そして、そうするとそれまで会話の場を設けるまでのモヤモヤもほぼ解消したのである。






苦手という意識の中に、自分の本当の思いとは何か。それをまずエゴを取り払うことで見つけることができたので、苦手であることは変わらないが、交流自体はできると改めて知れた経験だった。





おしまい