インターネット当たり前の時代から、SNS当たり前の時代へ
SNSっていうものの凄さに今さらながら気が付いた。
GREEあたりから始まって、Mixi、Twitter、Facebookと、単なる友達の可視化、または、友達同士の情報の交換、有名人のTwitterをフォローして繋がる、といったプラットフォームの出現に、ただただ面白がってついて行くばかりだった。
インターネットによって生活者が情報を発信できるようになったけれど、その発信の方法を思い返してみると色んな段階を経ていることに気が付く。いずれも似ているようで、全然、違うのね。
・自分のホームページを作って更新すること。
・ブログで発信すること。
・Twitterでつぶやくこと。
・Facebookにfoursquare経由で写真と一緒に近況をアップすること。
生活者起点の情報の発信は、21世紀の大きな革命的な出来事だけれど、Twitterや、Facebookが本格的に世の中の人たちに根差したメディアになった時、これは本当に単なるインターネットの普及とはレイヤーの違う世界が待っていることに、ようやく実感として気付きだした。
インターネット当たり前の時代と、インターネットとさらにFacebook当たり前の時代では、レベルの違うサービスが続出することになるだろう。というか実際、米国ではFacebookの普及が先行している分、その分野で再び日本と時差(タイムマシーン状態)が生まれている。
社会の装置は時を経るごとに変化していく。今、現時点の商品が内包している、(未来でも通用する)本質的な価値を見誤らないようにしなければならない。