ジジちゃんが死んでちょうど三ヶ月経ちました。
心配してくれた方に、なかなかジジちゃんのこと伝えられなくてごめんなさい。
ジジちゃんが病気になってから、癌が発見されてから、常に「死」を意識して、覚悟しながら生活してたから、死んじゃってすぐは放心状態で、時間が経つにつれ、もっとしてあげれたことがあったんじゃないかと後悔する毎日でした。
早期発見出来なかったことは飼い主の責任だし、どんなに嫌がっても病院に何度も連れて行くべきだったと。
良くしてくれた病院の診断が間違っていたんじゃないかと思ったり、セカンドオピニヨンを受けさせればもう少し長く生きれたかもしれない、とか。
時間は戻らないのに、振り返って考えてばかりいました。
ジジちゃん、最期は悲惨でした。
悲惨ってあまり表現の良くない言葉だけど、どんな状況でもジジちゃんと向き合って介護した私が、悲惨な状況でも一生懸命生きようとしていたジジちゃんの姿を誰よりも、そう認めてあげないとジジちゃんが報われない気がします。
このブログにジジちゃんの病気のこと書き出した頃には、既にずっとゴーゴーと音を立てて息をしていたし、口からの異臭も酷かった。
まだ頑張って、私のベッドに上がってこれた頃、寝てる私の顔の近くまで来て息をするから、その異臭で何度も目覚めたし、閉じなくなってしまった口で私の左手の人指し指を挟んで苦しんでた。
その指の痛みで私が起きても何もしてあげれないから、タオルで口の回りのヨダレや血を拭いてあげて「大丈夫?大丈夫?」と声をかけることしか出来なくて…
ある日を境に、ベッドに上がる体力もなくなって、私もふと目を覚ますと、少し離れたとこから聞こえる、ジジちゃんのゴーゴーと息をしてる音を確認して、再度眠りにつくようになった。
ジジちゃん用に、ベッドを作ってあげて、近くにトイレを置いて、そこがジジちゃんの定位置になった。
ベッドと言っても、高さは出せないし、前足が踏ん張れるように段差を作っただけのもの。
ジジちゃんの異変に最初は近付かなかったタマちゃんも、そのベッドの隙間に入って、ジジちゃんの体を舐めるようになった。
朝タオルを代えてもすぐに汚れてしまうから汚い写真でごめんなさい。
3月はやたらと地方ロケやオールナイトの撮影が多くて、いつも胸騒ぎをしながら現場をこなしてた。
猫を飼っているスタッフの方に話を聞いたり、愛猫家で有名なタレントさんにも相談してみたり、仕事そっちのけでした(笑)
病院の先生に放射線治療の相談をして、先生の紹介で、お話を頂いたりもした。
少し距離のある大学病院、想像通りの治療費、受けれないものではなかったけど、日に日に老衰していくジジちゃんにこれ以上、強い刺激の治療を受けさせて、私とタマちゃんと離れて入院させるのは、ジジちゃんにとってプラスになると思えなかったし、もちろん、先生からも「紹介はするけど薦めたくない」と止められた。
ジジちゃん、ほとんど寝てなかったと思うんだ。
深い眠りにつくと、息が出来なくなってしまうから、少しウトウトして起きて、って生活を続けてた。
私が見る限り、息をすることを意識して生活しているジジちゃん、息を一生懸命しているジジちゃん、本当に辛そうだった。
今まで考えたことのない、安楽死を何度も考えるようになった。
こんなに苦しんでるのに生かせてるのは飼い主のエゴだと思うようになって……
そんな時、犬を飼ってる先輩に
「動物はどんなに苦しくても痛くても〈生きよう〉とする生き物だから、人間みたいに自殺しようなんて思わないのが動物なんだよ」
と言われた。
それが真実か分からないけど、その言葉には何か助けられたんだよね。
ジジちゃん、私から側に行くとよたよたしながら膝に乗ろうとするし、わざとジジちゃんの側で横になるとよたよたしながら胸の上に乗ってくる。
洋服は血だらけになっちゃうけど、ジジちゃんが気が済むまで、じっとして撫でてあげた。
撫でるんじゃなくて、本当はぎゅっとして潰れるほど抱きしめたかったけど、苦しそうで出来なかった。
ベランダまで抱っこして、外を見せてあげて、桜が咲いたら病院行くとき一緒に見ようね、って約束したりして…
ある朝起きたら、トイレの手前におしっこ。
とうとう、トイレに間に合わなくなっちゃったか、と思いつつ、トイレに行こうとする姿を想像したら涙が出てきて、ジジちゃんにバレないように、泣きながら床を拭いた。
その日は私の彼がお休みだったので、彼とジジちゃんを一週間ぶりに病院へ連れて行く日だった。
病院へ行って、ジジちゃん診て先生も驚いてた。進行が遅いと。
口の回りを綺麗にしてもらって、口の中の血の塊も、取れるものは取ってもらった。
「すごく綺麗になったねー」って、嬉しくて、ここのブログに上げようとジジちゃんの写真を何枚も撮ったんだ。
その日は嬉しくて嬉しくて、病院から帰ったあと、安心して外食に出てしまった。
「嬉しいね、でも安心出来ないね。一度には断ったけど、放射線治療考えようか…」って彼とジジちゃんの話ばかりした。
タマちゃんも留守番頑張ってくれてるから、ペットショップに寄って、タマちゃん用の爪研ぎ部屋を買ってあげた。
それから家の近所のバーの人がジジちゃんのこと心配してくれてるから、ジジちゃんのこと報告して軽く飲んで帰ったら……
部屋に入って電気を点けたら、床が赤い。
ジジちゃんのベッドの回りが血だらけになってた。
いや、部屋中に、血が飛び散ってた。
私が叫び声をあげて、ぐったりしてるジジちゃんを抱き上げて、生きてるのを確認して、病院に電話して、もう診察外時間だったから、先生からのコールバックを待ってる間、彼が血だらけの床を一生懸命拭いてくれてた景色。
先生からコールバックを受けて、すぐ病院へ向かったけど、そのままジジちゃんは死んじゃった。
信じられなかった。
今思えば、最後の1日が全てだった。
先生から血を吐いた可能性や原因を聞いて納得出来たけど、なんで外食なんかに出ちゃったんだろうって、本当に後悔した。
悔しかった。
最後に束の間の安心させてくれたのかなって……
だけど、あんなに苦しんで苦しんで……
よく、最期は安らかに、って言うけど、嘘は言いたくないから、正直に最期は悲惨だったと書きました。
約束した桜は見せてあげれなかったから、火葬される朝、急いで桜を探しに公園まで行って、まだ三部咲きくらいの桜の木によじ登って、綺麗に咲いてる桜を1つ盗んで、ネズミさんと一緒に抱かせてあげた。
ジジちゃんはタマちゃんのお腹の中から産まれたんだ。
四匹の一番初めに産まれてきた。
タマちゃんはジジちゃんの臍の緒を口で切って、ジジちゃんの体を舐めて綺麗にして、二匹目、三匹目、四匹目を産んだ。
私は見てるだけ。
タマちゃんのおっぱいを飲んで一週間、二週間……
目をあけたジジちゃんはクリーム色の毛で天使みたいだったんだよ!
故猫のお父さん猫のカギちゃんとお母さん猫のタマちゃんが全部躾してくれた。
おかげでトイレもすぐ覚えたし、私に甘えるより、カギちゃんにくっついて歩いてた。
大人になっても、ジジちゃんは手がかからない猫ちゃんだったから、最期に私に手をかけさせてくれたのかな、って思います。
もっともっと手をかけさせてくれて良かったのにな。
これが一緒に撮った最初で最後の写真になっちゃった。
目線くれてたのが愛くるしいです。
ジジちゃんが死んで思ったことがありました。
私また猫を飼いたい、です。
猫ちゃんに限らず、また動物を飼いたいと、どんなに別れが辛くても、私はまた猫を飼いたいと素直に思いました。
そんな気持ちにさせてくれたジジちゃんは最高の猫ちゃんでした。
こんな親バカブログだけど、書くのに時間かかった~。
最後と最期の使い方も途中から分からなくなっちゃって(笑)
私は書く仕事をしてるわけじゃないし、アーティストじゃないから、自分の為にブログを書いてるようなもんなのに、カギちゃんのとき同様に、このブログを読んでくれている方に感謝しています。
本当に心から感謝しています。
ありがとうございますm(__)m
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心配してくれた方に、なかなかジジちゃんのこと伝えられなくてごめんなさい。
ジジちゃんが病気になってから、癌が発見されてから、常に「死」を意識して、覚悟しながら生活してたから、死んじゃってすぐは放心状態で、時間が経つにつれ、もっとしてあげれたことがあったんじゃないかと後悔する毎日でした。
早期発見出来なかったことは飼い主の責任だし、どんなに嫌がっても病院に何度も連れて行くべきだったと。
良くしてくれた病院の診断が間違っていたんじゃないかと思ったり、セカンドオピニヨンを受けさせればもう少し長く生きれたかもしれない、とか。
時間は戻らないのに、振り返って考えてばかりいました。
ジジちゃん、最期は悲惨でした。
悲惨ってあまり表現の良くない言葉だけど、どんな状況でもジジちゃんと向き合って介護した私が、悲惨な状況でも一生懸命生きようとしていたジジちゃんの姿を誰よりも、そう認めてあげないとジジちゃんが報われない気がします。
このブログにジジちゃんの病気のこと書き出した頃には、既にずっとゴーゴーと音を立てて息をしていたし、口からの異臭も酷かった。
まだ頑張って、私のベッドに上がってこれた頃、寝てる私の顔の近くまで来て息をするから、その異臭で何度も目覚めたし、閉じなくなってしまった口で私の左手の人指し指を挟んで苦しんでた。
その指の痛みで私が起きても何もしてあげれないから、タオルで口の回りのヨダレや血を拭いてあげて「大丈夫?大丈夫?」と声をかけることしか出来なくて…
ある日を境に、ベッドに上がる体力もなくなって、私もふと目を覚ますと、少し離れたとこから聞こえる、ジジちゃんのゴーゴーと息をしてる音を確認して、再度眠りにつくようになった。
ジジちゃん用に、ベッドを作ってあげて、近くにトイレを置いて、そこがジジちゃんの定位置になった。
ベッドと言っても、高さは出せないし、前足が踏ん張れるように段差を作っただけのもの。
ジジちゃんの異変に最初は近付かなかったタマちゃんも、そのベッドの隙間に入って、ジジちゃんの体を舐めるようになった。
朝タオルを代えてもすぐに汚れてしまうから汚い写真でごめんなさい。
3月はやたらと地方ロケやオールナイトの撮影が多くて、いつも胸騒ぎをしながら現場をこなしてた。
猫を飼っているスタッフの方に話を聞いたり、愛猫家で有名なタレントさんにも相談してみたり、仕事そっちのけでした(笑)
病院の先生に放射線治療の相談をして、先生の紹介で、お話を頂いたりもした。
少し距離のある大学病院、想像通りの治療費、受けれないものではなかったけど、日に日に老衰していくジジちゃんにこれ以上、強い刺激の治療を受けさせて、私とタマちゃんと離れて入院させるのは、ジジちゃんにとってプラスになると思えなかったし、もちろん、先生からも「紹介はするけど薦めたくない」と止められた。
ジジちゃん、ほとんど寝てなかったと思うんだ。
深い眠りにつくと、息が出来なくなってしまうから、少しウトウトして起きて、って生活を続けてた。
私が見る限り、息をすることを意識して生活しているジジちゃん、息を一生懸命しているジジちゃん、本当に辛そうだった。
今まで考えたことのない、安楽死を何度も考えるようになった。
こんなに苦しんでるのに生かせてるのは飼い主のエゴだと思うようになって……
そんな時、犬を飼ってる先輩に
「動物はどんなに苦しくても痛くても〈生きよう〉とする生き物だから、人間みたいに自殺しようなんて思わないのが動物なんだよ」
と言われた。
それが真実か分からないけど、その言葉には何か助けられたんだよね。
ジジちゃん、私から側に行くとよたよたしながら膝に乗ろうとするし、わざとジジちゃんの側で横になるとよたよたしながら胸の上に乗ってくる。
洋服は血だらけになっちゃうけど、ジジちゃんが気が済むまで、じっとして撫でてあげた。
撫でるんじゃなくて、本当はぎゅっとして潰れるほど抱きしめたかったけど、苦しそうで出来なかった。
ベランダまで抱っこして、外を見せてあげて、桜が咲いたら病院行くとき一緒に見ようね、って約束したりして…
ある朝起きたら、トイレの手前におしっこ。
とうとう、トイレに間に合わなくなっちゃったか、と思いつつ、トイレに行こうとする姿を想像したら涙が出てきて、ジジちゃんにバレないように、泣きながら床を拭いた。
その日は私の彼がお休みだったので、彼とジジちゃんを一週間ぶりに病院へ連れて行く日だった。
病院へ行って、ジジちゃん診て先生も驚いてた。進行が遅いと。
口の回りを綺麗にしてもらって、口の中の血の塊も、取れるものは取ってもらった。
「すごく綺麗になったねー」って、嬉しくて、ここのブログに上げようとジジちゃんの写真を何枚も撮ったんだ。
その日は嬉しくて嬉しくて、病院から帰ったあと、安心して外食に出てしまった。
「嬉しいね、でも安心出来ないね。一度には断ったけど、放射線治療考えようか…」って彼とジジちゃんの話ばかりした。
タマちゃんも留守番頑張ってくれてるから、ペットショップに寄って、タマちゃん用の爪研ぎ部屋を買ってあげた。
それから家の近所のバーの人がジジちゃんのこと心配してくれてるから、ジジちゃんのこと報告して軽く飲んで帰ったら……
部屋に入って電気を点けたら、床が赤い。
ジジちゃんのベッドの回りが血だらけになってた。
いや、部屋中に、血が飛び散ってた。
私が叫び声をあげて、ぐったりしてるジジちゃんを抱き上げて、生きてるのを確認して、病院に電話して、もう診察外時間だったから、先生からのコールバックを待ってる間、彼が血だらけの床を一生懸命拭いてくれてた景色。
先生からコールバックを受けて、すぐ病院へ向かったけど、そのままジジちゃんは死んじゃった。
信じられなかった。
今思えば、最後の1日が全てだった。
先生から血を吐いた可能性や原因を聞いて納得出来たけど、なんで外食なんかに出ちゃったんだろうって、本当に後悔した。
悔しかった。
最後に束の間の安心させてくれたのかなって……
だけど、あんなに苦しんで苦しんで……
よく、最期は安らかに、って言うけど、嘘は言いたくないから、正直に最期は悲惨だったと書きました。
約束した桜は見せてあげれなかったから、火葬される朝、急いで桜を探しに公園まで行って、まだ三部咲きくらいの桜の木によじ登って、綺麗に咲いてる桜を1つ盗んで、ネズミさんと一緒に抱かせてあげた。
ジジちゃんはタマちゃんのお腹の中から産まれたんだ。
四匹の一番初めに産まれてきた。
タマちゃんはジジちゃんの臍の緒を口で切って、ジジちゃんの体を舐めて綺麗にして、二匹目、三匹目、四匹目を産んだ。
私は見てるだけ。
タマちゃんのおっぱいを飲んで一週間、二週間……
目をあけたジジちゃんはクリーム色の毛で天使みたいだったんだよ!
故猫のお父さん猫のカギちゃんとお母さん猫のタマちゃんが全部躾してくれた。
おかげでトイレもすぐ覚えたし、私に甘えるより、カギちゃんにくっついて歩いてた。
大人になっても、ジジちゃんは手がかからない猫ちゃんだったから、最期に私に手をかけさせてくれたのかな、って思います。
もっともっと手をかけさせてくれて良かったのにな。
これが一緒に撮った最初で最後の写真になっちゃった。
目線くれてたのが愛くるしいです。
ジジちゃんが死んで思ったことがありました。
私また猫を飼いたい、です。
猫ちゃんに限らず、また動物を飼いたいと、どんなに別れが辛くても、私はまた猫を飼いたいと素直に思いました。
そんな気持ちにさせてくれたジジちゃんは最高の猫ちゃんでした。
こんな親バカブログだけど、書くのに時間かかった~。
最後と最期の使い方も途中から分からなくなっちゃって(笑)
私は書く仕事をしてるわけじゃないし、アーティストじゃないから、自分の為にブログを書いてるようなもんなのに、カギちゃんのとき同様に、このブログを読んでくれている方に感謝しています。
本当に心から感謝しています。
ありがとうございますm(__)m
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