去年のいつ頃だったか覚えてないけれど、
いきなり父が、
「お母さんは浮気してたんだ!」
とのたまいだした。
証拠は?と聞くと、確たる証拠はないけれど、浮気をしている人あるあるな行動をつづったブログを見ていたら、お母さんの行動によくあてはまることがたくさんあった!とのこと。
なので、自分の嫁は浮気をしていたに違いない!とのこと。
本人はとうの昔に鬼籍に入り、早8年の年月過ぎ去ってしまっている。
死んでしまって、今はもう思い出の中の人になってしまった人に対して、「あいつは俺を裏切った!」と声を荒げる父を見て、私も兄も口がぽかーんとなった。
もう、母がお亡くなりになって8年の月日が経っているのだ。
しかも、何か決定的な物的証拠でも見つかったのならともかく、父の記憶の中にある母の行動と、父がたまたまネットサーフィンで見つけた、とある一般人の嫁の浮気から離婚騒動に至るまでの詳細をつづったブログを読んで、母の浮気を確信した!とのこと。
まあ、今ではまとめサイトとか、ニュースサイトが流行っていることもあり、そういうサイトを見つけるのはそう難しくないけれど、そこに書いてある浮気嫁の行動と、母がとっていた行動がよく似ていたらしく、それを読んだ父は、「やっぱり!」となったらしい。
で、本人が亡くなって8年も経った今になって
「お母さんは浮気していたんだ!」
とのたまうである。
いい年してまっとうな稼ぎもなく、ずっと実家に住んでいるというのも、子供としては情けない限りと思えども、本人が生きていて、浮気がばれて修羅場☆ラ☆バンバになるならまだしも、もう死んでしまった嫁の浮気に対して騒がれても、さすがに口ぽかーんである。
それに、それが本当だったかどうかなんて、本人が死んでいるから確かめようもない。
そして、その確かめようもないことを、勝手に自分の中で確定事項として取り扱い、一人で盛り上がって悲劇のヒーローと化している父。
正直、何をどう扱えば?である。
それだけ騒ぐということは、彼の中で、ずっと燻っている何かがあったのだけはよくわかる。夫婦でなければわからないこともあるだろうから、彼の言い分を世迷言とバッサリ切り捨てることもできないわけなのだけれど。
でもね。
申し訳ないけれど、どうせ騒ぐなら、本人が生きているときにしてくれよ、とは思う。
死んでいなくなってしまった人に対して、それもお亡くなりになって8年もの歳月を経てから、相手に対してどうこう言っても、そんなもん、何にも始まらない話だし。
仮に、本当に浮気をされていたのだとしても、それはそれで仕方ないのではないか、というのが子供側の意見である。
というか、あんなモラハラ全開の生活だったにもかかわらず、浮気をして居たに違いないんだと子供に語った際に、
「お父さんはお母さんを幸せにしてあげたかった」
ってセリフを涙ながらに言われたとき、申し訳ないけれど、「ホンマにそんなこと、思っとったんけ???」という突っ込みを心の中で入れた。
そのぐらい、父の母に対するモラハラな態度は酷かった。
父を見ていると、人間って、わざわざ自分で好んで幸せを遠ざけているんじゃないかって思ってしまう。
いまだに父は、事あるごとに
「お母さんは浮気してたんだ」
「お母さんは酷い」
というのだけれど、事実がどうであれ、私からみれば、彼らの結婚生活においては、どちらかが一方的に悪い、というのはないと感じている。
というか。
俺がかわいそう、なんだろうな。
多分、ずっとどこかで彼女(母)を疑ってきて、疑う何かはあったけれど、物的証拠もなく、問い詰めることもできず、ずっとくすぶっていた何かはあったんだろうけれど。
申し訳ないけれど、相手が死んでから騒ぎ立てて、周り、というか子供にあたるのは、正直、あまり気持ちのいいものではない。
死者に鞭打つ、ということをして、俺は正義!と言われてもなあ、である。
反論できない相手に対して、相手をののしるなんて、大人のすることじゃないだろう。
ましてや、当時の夫婦の夜の生活事情の詳細を子供に伝えても、子供の側もどうしていいのかわからんよ。というか、友人に相談したとしても、子供に言うことじゃないだろう。たとえ、子供がいい年をしたオッサンオバサンになっていたとしても。
多分、疑惑を持っていた当時、父の側に、こういうことを相談できるような知人や友人がいれば、もう少し結果が違っていたのかもしれないけれど、こういう話ができる人が、この人には一人もいなかったんだな、ということはよくわかったのだけれど。
でも、父の、母に対する浮気疑惑(本人がなくなっているので、あくまで疑惑のまま)と、仕事における集客問題とかを考えると、結構な共通点があるよな、と思ったりもする。
何のことはない。
人は見ないし、聞かないし、考えない生き物なのである。
そして、自分にしか興味のない生き物なのである。
もちろん、このことは私自身に関しても言えることではある。
でも、正しく自分自身に興味を持つ人は、きっと自分に関わる人を幸せに出来るはずだし、見ることも、聞くことも、考えることも厭わないと思う。
もし、不満だらけだというなら、それは正しく自分に興味を持てていないということだし、正しく自分に興味を持つことができていなければ、おそらく、他人に対してもいうほど興味がないはずだと思う。
人と関わること。
関わる人数が多いか少ないかはわからない。
直接的なのか、間接的なのか。
それもわからないけれど、とにかく、人は生きていれば誰かと関わっているのだ。
まったく関わっていないように見えたとしても。
自分への理解を求める癖に、人は自分の目の前にいる相手を知ろうとはしない。
目の前にいる相手こそが、自分が何者であるかを教えてくれる人たちなのに。
そして、自分で何者であるかを知ることが、目の前にいる人と自分を幸せにする鍵なのに、人はそういうことは求めていなかったりする。
朝、顔を洗って、洗面台にある鏡に映る人だけが、自分を幸せにしてくれる人である。
決してそれ以外の人が自分を幸せにしてくれるのではない。
もし、そんなことはない、自分は大勢の人に助けられていると思うなら。
それは鏡の前に立つ人が、一生懸命、鏡の前に立っていない人の為に役立つことをした結果である。
だから。
毎朝、顔を洗って、鏡を見て、幸せだと思えないのなら、周りの人も幸せではない可能性が高いのだろうと思う。
そんなわけで2016年は、誰よりも一番自分を好きなる、を目標に年の瀬には、
「人生ってどうなるかわからんねw最高っす!」
と言える一年にしたいと思います。
ともあれ、父の8年目の浮気疑惑はまだ収拾がついておらず、どうしたもんかいなー、だったりします。
いろいろあるとは思うけれど、ねえ。
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