私は森田療法を受けて、初めて自分の気持ちを感じられるようになりました。

 

そのきっかけは外来日記森田療法で、2週間から1ヶ月のスパンで診察をし、

その間の毎日の出来事を

「行動したこと、感じたり考えたりしたこと」

で日記をつけて、次の診察時に提出するのです。

 

そして、カウンセラーがその日記に森田療法の考え方をもとに、〜こう考えよう、

と赤字で添削し次の診察時に返却してくれます。

1ヶ月スパンになると、日記は膨大な量になります。

それでもカウンセラーは全部読み、他の患者のものもおそらく全部読み、

添削し返してくれました。

 

大事なのはそれが大きいですが、しかしこの「行動したこと、感じたり考えたりしたこと」

を書く際に感情の中を除く行為を自分ですることも、きっかけとして大きいと感じてきました。

 

そのため、引越しを機に森田療法を受けられなくなる際に、主治医に

「添削はなくても以前の日記療法のように、一人で日記をつけることは有効か?」

と聞きました。

主治医は「書くことによって解決はされなくても、考えが整理されます。」と勧めてくれました。

 

日記を書くことによって心は落ち着きます。考えが整理されるからです。

そして日記療法を始めて程なく、徐々に「悲しい」とか「腹が立っている」「憎らしい」

「寂しい」などの

自分の気持ちを感じられるようになりました。

そしてまたしばらく後、今度はその気持ちを発せられるようになりました。

 

それは失った自我を半分取り戻せたように感じた瞬間で、

いろんな病気で周りより楽しむ時間も身体的と精神的制約のある人生でも、

自分の気持ちや感情に気づけるだけで、毎日の「今」瞬間を

 

「味わい深い」とふと感じられるようになった瞬間で、

それは日記を書いている間、毎日続きました。

 

私の子供時代は、自分の感情を持つ、また、言うことは、はしたないこと、と

家族や周囲から責められました。

 

その気持ちの抑圧で圧縮された布団を日記が解放し、空気を送り込み、

またふんわりしたもこもこした布団に戻ったのです。

 

ぜひもし今みなさんが、自分の気持ちが分からない、感情がわからない、

悲しいのか怒っているのか分からない、

逃げたいのか逃げるのが怖いのか、不安なのか何が不安なのか、怖いのか分からない、

という人がいましたら、

ぜひ上記のテーマで日記を書いて見てくださいね。