今日は仕事だった。

 

昨日まで4連休をとって、恒例となった一人車中泊の北海道内あちらこちら旅に出ていた。

 

楽しく美味しく、そしていちばんの目的の、自然と心臓の鼓動を合わせることができた旅だった。

 

私には中高生の頃から表面化した、心臓の締め付け感、痛み、呼吸の苦しさがある。

これは森田療法の診察でも「それはあるものとして」と臨床心理士に言われてきた。

主治医も特にその症状に対しては、どうする、という反応は避けていたようだった。

 

今、森田療法の本を読むと、症状には触れない、どうこうしようとしない、

というようなことが書いてある。

 

投薬ではぴったりのものを早くに主治医が見つけてくれたので、ある程度は楽になっていた。

 

ただ私には、幼い頃からの両親の喧嘩や、650万の株のサラ金の借金を残し私は相続放棄した、父親のみょうちくりんな性格に、小さい時からヒヤヒヤさいなまされてきたので、

妙に自分で自分にプレッシャーをかける癖がある。

 

もしかしたらそんなことは関係なく、昨年診断された大人の発達障害、自閉症のせいかもしれない。

 

ただ、森田は「原因追及をしない」ので、そんなことを考えていても囚われてもっと

症状がひどくなるのを私も感じていたので、

とはいってもしんぞうがバクバクいって、夜中に目が覚めるのは日頃のことだし、

もうそういう症状は自分の癖として認め、どういう時にそれが楽になるかを探すようになっていた。

 

「本当の心臓の動悸がしない、とは何か考えよう」変な言葉だが、

いっとき私が手を洗うのをやめられず、久保田先生に相談した時

「本当の清潔が何か考えよう」と言われ、そうしていたらピタッと止められた

 

その経験から、きっと辛いことをしてしまう裏側に、何らかの欲求があるのかもしれない、

と診察のアドバイスから考え始め、

今は、森林浴をしている時には動悸がピタッと止む、ことや、

自分の居心地のいい場所、環境、主治医の最近のクリニックの日記から言葉を借りれば、

「自分にニッチな場所を見つけましょう」そのニッチな場所や時間が、

生活の中に少しずつ見えてきた。

 

かくして2022年11月に生まれ育った埼玉県から、いとこも友も知り合いも、兄も全てを捨てて北海道に引っ越してきた。

 

森林浴の時間は確実に何十倍と上がった。

昨年、訪ねてきた兄に言わせると別人のような顔色に私はなったらしい。

 

それでもまだ、動悸で目が覚める。

 

応用編の「本当の心臓の動悸がしない、とは何か考えよう」はまだまだこれからも続けて行きたいと感じている。

 

そして今回の旅は、それをかなり意識した旅だった。

例えば能取岬に一時間30分目を閉じ時々開け、小さな自然の声を聞いた。

日常の焦燥感でバクバクした心臓を「何それ〜」と自然が言うように、

さら〜と軽くただただ、そこにあるがままに、風景はあり、草はあり風はあった。

 

その動悸は非常に静かで、その静けさに自分のうるさい動悸が、

まるで楽器のチューニングのようにピタッと重なるのには時間がかかったが、できた気がした。

 

でも難しかった。

簡単なのはやはり、森の中だ。木々の声は大きい。

だから自分の鼓動と自然の鼓動のチューニングがしやすいと感じる。

 

これから北海道も夏だ。特に今日は暑かった。

北海道の森は蚊やアブ、ハチなどが関東の比ではなくすごい数だ。

とくに蚊がひどい。

そして日差しが強いので、今年は秋になるまで森林浴、いけないかな〜、

無理して行っても耐えられず退散というのが去年だった。

さてさて、虫除けスプレーを買ってチャレンジチャレンジ。