小沢健二「春の空気に虹をかけ」
人生で初めて、ツアー全ステした。
レポートではなく、その時に見たもの感じたことを書きました。
(後編はこちら)
場所は、東京国際フォーラム、日比谷野外音楽堂、大阪城ホール、日本武道館、北の丸アンフィシアター。
開催されたのは2018年4月〜5月、1993年6月、そして2030年か2050年かわからないけど僕らの生きた時代の、平成のずっとずっと後。
どの公演も、決まって予定時間より遅く始まった。突然会場の電気が落ちると、客席が虹色にまばらに光っている。
光の色も、形も、動き方も、ばらばらで、小沢健二を見に来たという目的は同じでも、違う人間の集まりであることを思う。
1.アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)
暗闇がもぞもぞ動いたかと思うと、オルガンの単音が暗闇を切り裂いて、舞台の中央に横一線の切れ目を作った。
それは少しずつ開き、その裂け目から、突然叫び声がした。小沢健二の声である。
極めて個人的な過去の話を大声で叫んでいる。昔からの友人の話を中心に、過去の恋人の話、古い友の話、突然の悲しい出来事、そして彼の決意。
突然カウントダウンが始まり、小沢健二は地名を大声で叫ぶ。間髪入れず、再び叫ぶ。彼が垣間見た現実の美しい情景を。公園の噴水が虹をかけるさま、ラーメン屋が時を超えるさま、ライブハウスがひと時の休息を迎えるさま。
小沢健二の話に夢中になっていると、舞台上の空間がシャボン玉で満たされていることに気づく。
シャボン玉は、我が家の息子も大好きな、子供でも簡単に出来る遊びだが、実は小さな「虹」をかけることが出来る魔法的な装置だ。シャボン玉は、自分の呼吸が丸い形となり具現化する。呼吸を吐くことで表現されるという意味では、歌と同じだ。
呼吸とは、生きている限り反復し、死ぬと止まる。自分の生命が、美しい小さな虹となり、そして消える。
そんなことを考えていたら、小沢健二が歌を歌いはじめ、ステージに明かりがともる。
36人より少ないなぁ、なんて思いながら小沢健二の横に目をやると、そこに満島ひかりがいた。
2.シナモン(都市と家庭)
小沢健二が「シナモンの香りで僕はスーパーヒーローに変身する」と囁くと、「今夜はブギー・バック」並みのファンキーなトラックに乗せて、ハロウィンの街並みが目の前に広がる。小沢健二が煽り、客席が全員スーパーヒーローのポーズをとる。小沢健二が満足そうに眺める。
満島ひかりが「外国時間を計算しながらあなたにメッセージ送ってみるよ」と歌うと、小沢健二がハーモニーに回り、現実の裂け目が広がる。詩人と俳優が一緒にある世界へ、歌が誘う。
歌が終わると見せかけて、早口で小沢健二が周りのメンバーを紹介する。ずっとライブで共演したかったギタリスト、建築を生業とするパーカッション、才能あふれるの弦奏者、おなじみのリズム隊、新顔の吹奏楽隊、超天才鍵盤奏者などの紹介に続き、満島ひかりを紹介する。
3.ラブリー
ご機嫌なイントロが鳴ると、ステージが照明でピンク色に染まる。ステージ上のメンバーも楽しそうに体を揺らす。VHSの世界でしか見たことのなかった「日本武道館のラブリー」が、裂け目から現れる。小沢健二がこちらに歌うように求める。
気が付くと自分の口が
「画面の世界でしか見たことのなかった彼女が目の前に突然現れたけど、とても楽しい気持ちだ。もしも誰かが《おいおい、女優がオザケンとツインボーカルってちょっと待ってくれよ》と言ったとしても、そんなことは知らないよ」
と叫んでいた。
そしてその「夢で見た彼女」、満島ひかりはそんな私たちに
「人生はショータイム。すぐに分かる。夜が深く長い時を超えて、幸せな空間を作らなくちゃ」
と返してくれる。
底抜けで、寂しくて、能天気で、陰鬱な、この曲を歌いながら、小沢健二と満島ひかりは何度も会場を見まわした。自分の背後にいる客へも視線を配った。クライマックスでは満島ひかりの先導のもと、全員で両手で小さな虹を描きながら、「ラブリーで完璧な絵に似た」と叫んだ。嘘みたいな、完璧な絵のような、虹をかけるような光景が裂け目から見えていた。
いつのまにか舞台には36人が揃っていた。
4.ぼくらが旅に出る理由
また次の裂け目が広がり、別の風景を見せてくれる。それは初めて「ぼくらが旅に出る理由」をイヤホンで聴いたあの日。ホーンの号令のようなメロディに続いて、助走をつけて離陸していくようなストリングスの旋律。旅立つ恋人を見送る心情から、僕らの住む世界へ広がり、宇宙から届く光が行きつく、毎日の暮らし。乱高下する視点を、更に加速させる、多幸感あふれる演奏の暴力。
あの日、耳から脳に広がったバーチャルで大規模なフルオーケストラ演奏空間が現実のものとして目の前に広がっている。
女子の気分の人たちが満島ひかりと共に歌う
そして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いた
こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの と
男子の気分の人たちが小沢健二と共に返す
それで僕は腕をふるって 君にあて返事を書いた
とても素敵な長い手紙さ 何を書いたかはナイショなのさ
いつか聴いた安藤裕子と茂木欣一ではなく、小沢健二と自分による、現実の掛け合いが裂け目から現れた。
5.いちょう並木のセレナーデ
気が付くと雨が降っていた。北の丸アンフィシアターは野外会場なので雨は致し方ないが、今日の天気読みでは晴れだったはずだ。
すこし傘がないとヤバいかな、と思う降り具合になってきたが、傘も合羽も持って来なかったので濡れたまま聴くことにした。
ギターが濡れると困るからか、満島ひかりが傘をさす下で、小沢健二が語りだす。北の丸アンフィシアターは昔、武術の為の会場として建てられたブドウカン?とかいう建物の跡地に立っていて、そのブドウカンはちゃんと屋根もある会場だったらしい。小沢健二も昔はそこでライブをしていたりしたと言っていた。映像とか残ってるのかな?定説ではロックの殿堂だったその会場を、金閣寺よろしくロック好きのライブスタッフが燃やしてしまったという話らしいが、小沢健二はさらにその裏話である徳川家の財宝とか、CIAの陰謀とかについて語っていた。さすが物知りである、「うさぎ!」の新作はぜひその話でお願いしたい。
雨の中で歌われた『いちょう並木のセレナーデ』。満島ひかり(と女子の気分の人たち)が「過ぎてゆく日々を踏みしめていく」と歌い、小沢健二(と男子の気分の人たち)が「いつか遠くへ飛び去る星屑の中のランデブー」と歌う。
いつか小沢健二も、満島ひかりも、そして自分も居なくなった世界でも、この曲がどこかでかかっていたら素敵だな、と星屑のような雨粒を見上げながら考えていた。
もしかしたら小沢健二はブドウカンでもこの歌をうたったことがあるのかもしれないな、と少し思った。
6.神秘的
ほんの少しの間、裂け目から未来かあるいは別の宇宙を見ていた気がする。ふと気づくと小沢健二が男の子を抱えていた。恐らく3歳ぐらい。自分が小沢健二のライブに行っている間、お留守番している自分の長男と同い年ぐらいに見える。まだ寝るには早い時間かと思ったが、すこしうとうとしているようだ。
よく目をこらすと、それは紛れもなく、お留守しているはずの自分の息子だった。
小沢健二は「子供の周りにいる大人と、子供に捧げます」と言って、息子を膝に抱え乗せ、横にして撫で始めた。どこからかギターのアルペジオが流れ出し、満島ひかりが子守歌を歌い出す。日常風景を訥々と歌っているが、時折幻や違う世界の生活が見えるような、不思議な歌だった。オーケストラが子守歌を優しく包み、小沢健二が抱えていた自分の息子も眠りに落ちていた。
眠っている息子を邪魔しないように、音が少しずつ止み、ハープとギターのアルペジオだけになり、ハープだけになったかと思うと、いつのまにか自分も眠りに落ちていた。
7.いちごが染まる
目を覚ますと、蛍光黄色と蛍光ピンクのロープが張り巡らされていた空間に閉じ込められていた。ボクシングリングのように、4つの透明な高い柱に、足元から頭の高さまで、グルグル巻きになっている蛍光黄色と蛍光ピンクのロープ。どうやらそのロープを張ったのは満島ひかりのようだ。いまも満島ひかりはロープを持ち、四方を回りながらロープを張っていく。時折ロープに手をかけ、乱暴に揺らす。その閉じ込められた空間の中で小沢健二の歌声が響く。大切なものをゆっくりと、自然の力で、育てていくことを歌っている。それはなにか果物かもしれないし、人間関係かもしれないし、子供かもしれないし、自分自身のことかもしれない。曲の終りにロープがはらりと地面に落ちる瞬間、過去に小沢健二にとって大切な仲間だった、もうこの世にいない人たちが一緒に演奏しているのが見えたような気がした。
8.あらし
目が醒めても残った、そんな夢を見ていたかもしれない。
雨に打たれていたような気がしたが、外にはGodzillaのように雨が降っていて、何が現実なのか、すこし分からなくなった。
自分の知っていたこの曲は、とてもモノクロで、温かみはあるものの、暗く、底冷えするような曲だった。
しかし、今回のライブでは、クールな印象はそのままに、ファンクな交響楽団が、それに色と明るさをつけていた。虹の光で織ったカシミアは、たとえ話ではなく、確実に小沢健二や、満島ひかりの手の中にある、そんなことを考えていた。
9.フクロウの声が聞こえる
「36人ファンク交響楽のど真ん中」にあると宣言して始まったこの曲。このイントロはなじみがある。魔法的ツアーの2曲目だ。突然スクリーンに謎の渦巻くポエムが現れ、オープニングショートストーリーかと思ったら、このイントロが流れ、そのショートストーリーをそのまま小沢健二が歌い出したときの驚きは忘れられない。
その時は、なんか弾きづらそうなAメロのギターを弾きながら、なんか歌いづらそうなメロディを歌いはじめ、サビのメロディーも乱高下してて歌いにくそうだし、ナントカとカントカが一緒にある世界への上昇するギターコード押さえるの難しそうだし、「せかい↑~へ↓」超歌いづらそうがんばれ。変なロックオペラみたいでおもしろーい、と思っていた。
でも「ちゃんと食べること、眠ること」「怪物を恐れずに進む」「泣いたらクマさんを持って寝る」という歌詞に、「あ、自分が子育てして気付いたことだ」と思ってから、小沢健二の魔法的新曲群が驚くほど自分の中にスっと入ってきたことを覚えている。
そして今回はギターも、メロディーも、びっくりするほど「モノ」にしていた。もうこれ以外のコードもメロディもありえないと思えるほど、小沢健二の血となり、肉となり、骨となっていることが分かる。そしてそれは自分にとってもそうだった。
そしてそれが36人の力で、爆音で放たれる。フクロウの声が、国際フォーラムに、野音に、城ホールに、武道館に、北の丸アンフィに、響いた。
そうして、フクロウの声を聴いているうちに、「〇〇と〇〇が一緒にある世界へ」という、繰り返し形を変えて登場する、一番目立つ歌詞のところが自分の中で共鳴し始めた。
何故かわからないが、物事は白黒をはっきりさせるべきで、一方であれば他方ではない、対立する概念は論破されるものと、と思い込んでいることに気付いた。
この「一緒にある世界へ」という歌詞が、これまで自分がかけられていた暗示を、やさしく解こうとしてくれる。
混沌としているものが、秩序を乱している。
あの人は残酷な人だから、慈悲がない。
もう「世界の終わり」のような気分だから、この世界に希望はない。
この人は嘘をついているから、何も本当のこと言ってないじゃない。
今朝はベーコンを食べるから、イチゴジャムは食べない。
なんでだ???
なんでこれまでいろんな事柄を対立させて、勝手に一方を決めるべきだと思って「決断」をしていい気になって、他方は無かったことにしてきたんだろう。
大切なことは、選択肢を立てて、そこから選ぶことじゃない。
宇宙の力を愛し、ちゃんと食べて寝て、怖ければ勇気をつけて、嘘をつかず、二者択一でなく、共存・協働すること。
そして何より、その「はじまり」の扉を開くこと、宇宙の中で良いことを決意することが大事なんだ。
対立する・並列しないと思われる概念を当てはめて「一緒にある世界へ」と歌い出したくなる。仕事と家庭が一緒にある世界へ。本業と副業が一緒にある世界へ。戦争と平和が一緒にある世界へ。文系と理系が一緒にある世界へ。過去と未来が一緒にある世界へ痛みと安心が一緒にある世界へ。嘘とAIが一緒にある世界へ。愛と商売が一緒にある世界へ。
よく小沢健二がたとえに出す「コーラかペプシか選ばされるような、不毛な選択」という話も、この二項対立に押し込められて、本当に大切なことを選べなくされていることを話しているのだと気付く。
36人のファンクの交響楽の力を借りて、ようやく『フクロウの声が聞こえる』の秘密を、裂け目から少し見せてもらえた気がした。
