2004.2.19

一生忘れられない日。

誰がいくら否定してくれても私はずっと私のせいだと思ってるし罪の意識は一生消えないと思う。



何の物音かわからずに階段をおりたら、もがき苦しむ父親と青褪めた顔で駆け寄る母親と立ち尽くす祖父母と泣き出しそうな妹弟と。
震える指先で押した1.1.9。
嘔吐し痙攣する父親は呼んでも返事をしなかった。
母親は父親と共に救急車に乗って行って、祖父母も後に駆け付けた叔母の車で病院に向かった。
私は妹弟に大丈夫だからと根拠も何もないセリフを吐きながら眠れない夜を過ごした。
朝になっても母親は帰って来ない。
とりあえず学校に行きなさい、昼間に必要なものを取りに帰ってくるから学校が終わったら病院に行こう、そう言われて私は学校へと向かったけれど、その日の記憶があまりない。
上の空だったんだと思う。
昼休み、放課後の特科に出られない理由を担任に話しながら涙が止まらなかった。
口に出してやっと実感がわいたんだ、父親が倒れた事。
病院に着いて父親が眠るICUに入った。
姿を見た瞬間、立っていられなかった。
頭から左目にかけて包帯の巻かれた父親はたくさんの機械に繋がれていて、私の知らない人のようだったから。
絵に描いたような九州男児。
こんなに弱い姿を見る日が来るとは思わなかった。

倒れる数分前、コンビニにアイス買いに行こうって誘われたんだけど、断ったんだ。
受験の追い込みでいっぱいいっぱいで冷たくあたってしまった。
それが最後の会話。
冷たくしなきゃ良かった。
って、後悔した時には遅くて。
倒れる何日か前も、部屋に来ては仕事が大変でって話をしていたんだ。
ずっと冷たくしてた。
どうして優しくしてあげられなかったんだろうね。
私達家族の為に働いてくれていたのに。
踵が痛いってずっと言ってた。
倒れてから知った、前兆だった事。
もっとちゃんと気にかけてあげられてたらこんな事にはならなかったのかもしれない。
父親からの大きなサインを私は見逃してしまった。

脳内出血とクモ膜下出血を併発した父親には後遺症がのこった。
右半身の麻痺と、言語障害。
声は出るけど言葉が出ない父親とは、今までみたいな会話ができなくなった。
父親の言ってる事がわからなくて、父親も意思が伝わらない事に苛々して、わかってあげられない事が悔しくて、お風呂場で声を殺して泣いても何も変わらなくて。
精一杯介護はしたけど、できない事が多すぎた。

退院したばかりの頃は四股の杖でどうにか歩いていた父親、今では車椅子生活。
一生懸命生きる父親に失礼なのは承知で言う。
私は父親の人生をめちゃくちゃにしてしまった。
父親に対しては罪悪感しかない。



ふとフラッシュバックして涙が止まらなくなった。
吐き出さなきゃ潰れる。
父親の苦痛と比べたら、というか比べものにもならないけれど、辛くてもちゃんと立っていなきゃいけないなって思う。
わかっているから泣いてでも座り込まない。
父親はいくら立っていたくても一人じゃ立っていられない。

吐き出して、深呼吸して、はい現実。
ずっと赦さないで。