ボウリングの思い出教えて!

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ボウリングというスポーツを知ったのが昭和60年、小学6年生の時、同級生から「駅前のボーリング場で毎週日曜日の朝小中学生を対象とした無料のボーリング教室を開店前に開いているのでどう!!」と言われて言ったのが当時住んでいた自宅マンションから自転車で走ってすぐ関西大学の千里山キャンパスに近いフタバボウルへ。ニコ開店前ほんの数時間ではありますがアメリカン方式で2ゲームほどおけいこ。ニコ投げ方が下手なので見かねたコーチ(ボーリング場のスタッフさん)がその都度ボールの投げ方についての指導をマンツーマンで見本を示しながら時には腕を補助されながら教わっていたのを思い出します。ニコその後昭和62年、中学2年生の終わりで近畿から四国へ転校。ニコ平成に入り高校2年生の頃、ある週末に自身はCクラス(文系で二流以下の私立大学進学、専門学校進学、就職クラス)の在籍でAクラス(国公立及び有名私立大学など特別進学クラス)の人たち数人といっしょに当時住んでいた一戸建ての借家からすぐのシーサイドボウルへ。ニコ私のボーリングの投げ方の下手さにAクラスで勉強していた友人(この友人は中学3年生のはじめに転入した中学校では同じクラス)が驚き、その場で投げ方のコツをマンツーマンで教わり、それからというもののおかげさまで最下位に転ずることなくはたまたトップにもならずブービー賞だけは社会人になってからちょくちょく獲得してきております。ニコまったくお恥ずかしゅうございます。ウシシあせるまた明日ビックリマーク