母の介護を始めて、染井の神経はぶっ壊れました。
そんな話を以前した気がするのですが、その理由と対策について書こうと思います。
染井は奇形を持って生まれてきました。
それにより今で言うカンガルーケアというものを受けなかったようです。
母は染井に愛情を持てなかったと言いました。
そんなことは物心ついたときより百も承知なので、特に傷ついてはいません。
何より染井は高校生の頃、母親という存在を捨てました。
高校生の頃、染井は人生で5回目の手術を受けました。
手術の日、染井をストレッチャーに乗せて手術室に運ぼうとした看護師さんがふと辺りを見回して「お母さんは?」尋ねました。
染井は咄嗟に「お母さんは居ません」と答えました。
来ていませんという意味だったのですが言葉通り居ないと受け取り、相部屋の患者さんが焦って「え?! この前来てたあの人は誰?!」と言います。
染井が失笑しながら「ああ、あれお母さん。居ますけど、今日は来ていないです」と申しますと、看護師さんも患者さんも「ええっ?!」と驚いて絶句してしまいました。
染井が「わたし、高校生ですよ? 小中学生じゃあるまいし、いちいち母親が居ないとイヤだとか怖いとか言いませんよ」と笑いながら申しますと、患者さんが「確かに小中学生ほど子どもじゃないけど…でもね、高校生って未成年なんだよ…?」と恐る恐る仰いました。
染井がポンッと手を打って「おお、そう言えば!」と言ってカラカラ笑っていると、ようやく看護師さんも患者さんも何かを悟ったのか諦めたのか「…手術、頑張ってね」と話題を変えられました。
母は見送るのが辛いと申したので来なくて良いと事前に言っておいたのですが、手術が終わって目を覚ますとおりました。
ブチッ!
「何で来るんじゃあああっ?! 帰れぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
術後、病室での第一声は怒声でございました( ̄▽ ̄;)
その後あれこれ世話を焼かれ、いらないと言うのに無理矢理スポーツ飲料を飲まされ、久々に強い吐き気を催した染井は消灯間際にリバースしてしまいました。
母親なんてもういらないと痛感した次第でございます。
この一件以外にも色々ありました(母は口が悪く、酒癖も悪いです)が、二十歳前後の頃には、母のことを母親だと思うとどうしようもなくムカつくので、『家事が万能で口うるさい同居人』だと思うことにしました。
血が繋がっていると思うとムカつくことでも、他人だと思うとそうでもないことに気が付いたのです。
染井は自分のことを『身内を身内と思わない、冷たく厭な人間』に思えましたが、それ以上に母を母親だと思って遇するといつか神経が参ってしまうのではないかという危惧もすでにあったのです。
それから月日は流れて現在。
3年前に母が倒れた直後は『母親を介護している』という認識で介護を行っていましたが結果、染井の精神年齢よりはるかに低い母の精神年齢に振り回され、染井の神経は崩壊し始めました。
そこで母親の介護をしていると思うのをやめて、『身寄りの無い可哀想な病気の女の子の世話をしている』と思うようにしました。
そうすると暴言やワガママを言われてもある程度は聞き流せるようになり、染井の神経は持ち直し始めました。
それどころか、慈悲の心すら湧いてきました。
しかし最近では、車の運転免許をあっさり更新することが出来たのに、相変わらず日がな1日テレビを見て過ごす母を『可哀想な女の子』と思ってもムカつくので、『メスゴリラの飼育をしている』と思うようになりました。
相手はゴリラなので、こちらの言うことが通じないのです。
むしろ通じなくて当然。
だってゴリラだしぃ?┐( ̄Δ ̄)┌
酷い娘だとは思いますが、こうでもしなければ首をくくるのは「死にたい」と常に騒いでいる母ではなく染井の方でした。
もしも今現在、介護地獄で苦しんでいらっしゃる方がおいででしたら、参考にしてみてください。
考え方を変えるだけで、多少楽になりますよ?
いや、ゴリラまでは行き過ぎかもしれませんが(笑)