光がどんどん薄れてくると、アキコは別の場所に浮かんでいた。くじらもおらず、風船のように体が宙に浮かんでいる。ここはどこだろうと思いながらも懐かしさを感じていた。


「えー。パパもう行っちゃうの?もう少し長くいれないの?」


「パパはね、とっても忙しいの。入学式に間に合っただけでもよかったわよ。お仕事も忙しいみたいだし、今度帰ってきた時にゆっくりみんなで話しましょう」


 ママの声だ、と思い、声のするほうを見ると、そこにはアキコの母と、中学の制服を着た、中学のころの自分がいた。


(私・・・どうして?)


「すまんな。次帰ってきた時にはたくさんお休みとれるから、その時たくさん話そうな」


 男の声にアキコは、はっと振り向くと、男は車に乗って、出るところだった。


 アキコは手を伸ばして男を止めようとしたが、宙に浮いているだけで動かない。母と中学のころの自分は、バイバイと手を振っている。


 アキコはどうしても、男を行かせてはいけないと思った。


「ダメ!ダメよ!行っちゃダメ!パパ!事故にあっちゃうのよ!行っちゃダメ!」


 アキコの必死の呼びかけも虚しく笑顔で見送る母と自分。遠くへと行く車をアキコは見ていられずに手で顔を覆うと、次の瞬間大きな激突音とガラスの細かな破片が飛び散るような音で、顔を覆っていた手をどけた。


「いや・・・パパ・・・そんなのひどい・・・」


 ぐしゃぐしゃに変形した車と救急車やパトカーの赤ランプ。もう自分の父がどうなったかアキコは知っていた。ぽろぽろと涙を流してアキコは事故現場を前にうずくまって泣いていた。


「ひどいよ・・・どうしてこんな辛い思いを二度もしなきゃいけないの・・・」


 初めて事故現場を見たショックで悲しみ一色に浸されたアキコは途切れることなく涙を流し続けていた。


「アキコ・・・」


「え?」


 男の声でアキコが泣き顔を上げると月の光に包まれる父の姿があった。気がつくとくじらの背中に戻ってきていた。


「パパ・・・どうして・・・」


 自分の父を目の前にしてアキコはどっと涙をあふれさせ、嗚咽しながら父の胸へと抱きついた。


 父は優しくアキコの頭をなでながら「よしよし」と言ってあやしていた。


 ただアキコは泣き続けた。父が死んでからというもの、こんなに思いっきり心の底から泣いたことがなかった。父に会えて嬉しい。生きている父に会えた。辛かった。悲しかった。堰を切ったように、どっと様々な感情を乗せて涙が流れ続けた。今まで「大丈夫」「平気」「別に」そんな言葉たちで本音を隠し続けてきた自分がこれほど素直に泣けるなんて思いもしなかったアキコは十数年分の涙をしばらく流していた。


 ようやく泣き終えたアキコは目を腫らせて父を見つめた。昔の黒かった髪とは違って、少し白髪が増えて、目じりのしわも増えていた。


 父はにっこりと笑って、「もう泣かなくていいのか?」と優しく言うと、アキコは「泣き疲れちゃった」と笑った。


「パパ、今まで何をしていたの?」


 アキコは単純に浮かんだ言葉を出した。もっと話したいことはいっぱいあるのに、どうしてか言葉がうまく浮かばなかった。


 父は「色々とな」とにっこりしながら答えた。


「今までずっとアキコのこと見守ってきたぞ。あまり飲みすぎるなよ。あまり人様を悪く言うもんじゃない。ああ、彼氏はちゃんとしっかりしたやつを選ぶんだぞ」


「なあに?久しぶりに会えたのにお説教なの?」


 二人は見詰め合って笑い合った。


 まるで時間はあっという間だった。たわいもない話ばかりだったが、アキコにとっては大事な時間だった。アキコは父からずっと目をそらすことなく見つめ続けていた。


「そろそろ、行かなきゃいけない」


「そっか・・・」


 アキコは、父は元の場所に帰るんだ、と思った。きっとすぐに別れなくちゃいけないことはどこかで覚悟していて、ショックであることを押し込めていた。すると父は優しく、「あまり、強がるな」と、アキコの頭をまた優しくなでた。


 するとまた自然と涙があふれてきて、アキコは声を上げて泣き出した。「行かないで」とは言えないアキコはただ泣くだけだった。


「いつでも、見守っているからな・・・アキコ・・・」


 ゆっくりと父は光に包まれ、強く発光して消え去った。アキコは父の放った強い光に目を開けていられなくなり、まぶたをぎゅっと閉じた。


 アキコが瞳を開けた時には、朝だった。ちゃんと自分のベッドの上で寝ているし、外は天気らしく、スズメが勢いよく鳴いているのが聞こえる。


「夢・・・だったのかな・・・」


 その日、アキコは一日中ぼんやりしていた。夢の中の出来事が嫌に肌に残っていて、とても夢とは思えなかった。会社で、あまりにもぼんやりしているので友達にもだいぶ心配された。


 結局、そのまま何をしたかわからないくらいぼんやりして部屋に帰ってくると実家から手紙が届いていた。


「ママだ。電話にすればいいのに」


 アキコが実家に電話をかけ、「何かあったの?手紙なんかくれて」と言うと、「ああ、ちょっと忘れていたことがあったのよ!お誕生日おめでとう!アキコ」と、母の元気のよい声を聞くことができた。


 アキコが何かと思って封筒を開けると、母のお誕生日おめでとうのメッセージと、古びて少しだけ黄ばんだ白い封筒がもうひとつ入っていた。


 その封筒には、父の字で、「アキコへ」と書かれていた。裏には「アキコが大人になるまで開封厳禁」と書かれていた。


「パパから?」


 驚きながらも急いでアキコが封筒を開け、中身の手紙を取り出すと、こう書かれていた。


「大人になった愛するアキコへ。

 直接口で伝えればいいとアキコは言いそうだが、こういうのもノスタルジックでいいだろう。未来のアキコ。きっと素敵な女性に育っていると思う。アキコは小さい頃から負けん気が強くて、男の子も泣かせることがあったくらいの強い子だった。あまり想像はしたくないが、きっと男をねじ伏せるぐらいの迫力を持ったかわいい女の子になっていることだろう。アキコは顔はかわいいのだが、性格は男勝りで、俺も気が合う娘ができて頼もしい限りだ。きっと母さんとは離婚せずに仲良くやっていることだろうと思う。お互い愛しているからな。もちろんアキコのこともちゃんと愛しているぞ。いつでも、アキコのことは愛している。大人になったら俺の趣味にたっぷりつき合わせてやるからな。

 アキコ、立派な大人になれよ。他人を思いやれる大人になれ。痛みをわかってやれる大人になれよ。痛みを責める大人になるなよ。他人を愛することのできる大人になれよ。自分をちゃんと好きになれる自分になれよ。ちゃんと自分と他人のことわかってやれる優しい大人になれよ。アキコ、人を笑顔にできる立派な大人になれ。きっと、そうなることを願っている。この手紙を読む頃には、三人、いや、五人かも知れないが、家族みんなで笑い合える素敵な家庭を築いていると思うがな、アキコという大切な娘に心からありがとうを言いたい。

 アキコに会えて、本当によかった。ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。」


 短い文面で書かれていた父の手紙を読んで、涙声で「もっと長く書いてよパパ」と、微笑みながらつぶやいた。自然と涙が止まらなくなっていた。


 日付は、中学の入学式の前日だった。仕事の合間にできるだけ書いたんだ、と思った。


 アキコはまたベランダでビールが飲みたくなった。今日も晴れ渡っている。少し欠けかかった月が綺麗に星空に咲いている。


「やめなよー。アキコおやじみたいだよ?」


 友達の言葉をふと、また思い出した。なぜか思い出しても気にならなかった。それよりも、なんだか友達のことがかわいいなと思えていた。


 プシュリッと缶ビールを開けると遠くのほうに影が見えた。


 今日も、くじらが星空を泳いでいた。




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それはそれは大昔の話。まだ星たちが喧嘩したり、かけっこしたりして、忙しそうに動き回っていた時代。月の国に多くの星たちとともに住んでいた天女がいました。


天女は星たちを導き、月を導く役目をおっていました。星々は月のそばで競い合うように美しく輝いていました。天女は朝の訪れとともに星たちを寝かせ、夜の訪れとともに星たちを起こし夜空へと送り出し、輝かせます。


天女は朝と夜の力を与え、また、月から星々へと力を与えていたのです。


天女は毎日欠かさず月に向かって月の力が失われないように祈り、時には星たちとともに遊び、やがて眠りにつきます。


月は天女の祈りで自ら光り輝き、そして夜には休み、星々を包み込んでいました。天女もまた、月の光による不思議な力の加護を受けて生きていました。


そんな天女がある日恋に落ちました。それは太陽の国の王子様でした。天女が星たちと遊んでいるとき、遠くを横切る、燃える流星のようなりりしい姿に一目惚れしてしまったのです。


しかし天女にとってそれはかなわぬ恋でした。なぜなら太陽の光は月の国に住むものたちにとって、あまりにも強すぎて、みんな焼かれてしまいます。


太陽の国の人たちは大変好戦的で、次々と光の強さと同じように領土を広げていきます。


 今まで焼かれずに平気だったのは、天女が毎日祈っているために月の力が強く、太陽の人たちを寄せ付けなかったからです。


 天女は王子様の姿を心の奥に思い浮かべるたびに胸が苦しくなって、不安にも似た気持ちになりました。瞳を閉じても、まるで焼きついたかのように王子様の姿が浮かんできて、胸が締め付けられました。天女は、どうして自分は月の国に生まれ、王子様のもとへ行けないのだろうと思うと、とても切なくなり涙が自然と流れてきました。


天女はかなわぬ恋に毎夜涙にくれました。天女は毎日王子様を想い、毎日悲しみ、祈ることさえもできなくなっていきました。


天女が祈らなくなったことで月の光はやがて赤く変わり、その透明さをなくしていきました。


王子様への想いがつのり、いてもたってもいられなくなった天女はついに、太陽の国へ行き、王子様に会うと決意しました。それは自分の死をも決意したものでした。


天女が月の加護を離れ太陽の国へ行くと、一瞬にしてその体が燃やされてしまいます。それでも天女は王子様に気持ちを伝えたかったのです。伝えられなくても、近くで王子様の姿を見たい。そう思っていたのです。


その時、太陽の国では赤い月に攻め入る準備をしていました。太陽の国の大王は日に日に弱っていく月の力の前に、太陽の軍が攻め込めるのは今しかないと思っていました。太陽の国の大王は最愛の息子への贈り物として、月を太陽と同じように赤く燃え盛る国へと変えることを王子様へ約束していました。


 王子様はついに月の国へと攻め入っていきました。天女はいち早く異変に気がつき、どうか星たちだけでも助かるようにと思い、星たちを逃がそうと努めました。


 しかし星たちは混乱し、バラバラと動くだけで天女の必死な思いもかないません。


 天女は自分のせいでこうなったのだとひどく後悔しましたが、もう手遅れでした。


月は炎に包まれ、混乱した星たちは死んでしまったり、暗い夜空の先へと飛び散ったりしました。


 天女は最後まで月の国を守ろうと、最後の力を振り絞り、月へと祈りました。天女の祈りの前に太陽の軍は少しずつ弱っていきました。


 そこへついに王子様が月へと乗り込んでいきました。王子様は月へと祈りを捧げる天女の姿を一目見て、そのあまりの美しさに心を奪われて、攻めることさえも忘れました。


 天女は王子様の姿を見て、悲しそうに目を細め、見つめました。祈ることを止めた天女の体は炎に焼かれ、青白い光になって闇の底へと落ちていきました。


 そのとき王子様は天女の涙を見ました。王子様とこんな形で別れなければならない悲しみ、ずっと想い焦がれていたこと、ようやく会えた喜び。涙は、王子様に天女のすべての想いを伝えて、炎の中で消えていきました。


 ついに太陽の国の軍に焼き尽くされ、灰のようになり、天女の祈りを失った月は自ら輝くことができなくなってしまいました。


 王子様はそっと月の国から引き上げ、太陽の国の大王にすべてを伝えました。


 そして王子様は大王の許しを得、太陽の国からずっと月を照らし続けることにしました。


 王子様は自らの光で月を照らし続け、誰一人として月へ入ることを許しませんでした。


天女は王子様と別れるとき、その身が滅んでも王子様を永遠に愛し続ける証として目印を残しました。


それは月に残していった、白い愛の紋章でした。


 王子様もまた、月を照らし続けることによって天女への永遠の愛を誓ったのです。


その紋章が今でも地球と呼ばれる、この星から見えるそうです。


二人の愛の証として。



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