こんにちは
前回ヒダカズ先生からの
「子どもは授かりものではなく、預かりもの」
と言う事を書きましたが、
別の方からの言葉でまたハッとしました
「子どもに溢れ出る愛を分けてあげてください。
溢れ出る愛です。
自分がしあわせでないとダメです。
コップがあって、そこから溢れた水を別のコップにいれる。そんなふうに。
コップの中が空っぽだったら、別のコップに水は入れられないでしょ?
だから、『私が我慢したらいいの、子どもに幸せになって欲しいから私が我慢してればいいの』
というお母さんがよくいますけど、自分が幸せでないのに誰かを幸せにできますか?
中身のないコップからは何も与えられませんよ。
だから、、お母さんも幸せにならないとダメです幸せなお母さんになれば子どもにも幸せを分けられますよ」
白石康次郎さんの講演のお話です。
白石さんはプロのセーラーです。
(海洋冒険家)
このお話好きです。
私は子どもが生まれるまえ、本当に好きに生きてきました。
部活、バイト、旅行、趣味で仕事辞めて短期で放浪、やってみたい仕事への転職、、
子どもが産まれ子ども中心の生活になり
子どもが好きだから子どもの幸せを願い
自分は我慢しても好きなことさせてあげたい。
と思いました。
今までメチャクチャなほど好きなことした私は
自分の子にも好きな事をさせたかった。
気づかなかったけれど、自分がなくなるほど
子どもを見ていました。
何も苦痛ではありませんでした。
でも、これを聞いた時に、子供のしあわせが私のしあわせ、、
ん?
私の幸せは子ども?
わからなくなりました。
大好きな趣味も時間的にも金銭的にも我慢して?
やめてました。
→この時間、このお金使うなら子どもに使ってあげたい
あんなによく考えた私の夢
→子どもがいるから、安定した生活、お給料が必要だからチャレンジはやめる
でも、自然にそう言う流れになっていたのです。
それに気づいた時、3年前
手の届く範囲のことでいいから好きなこと始めようと思えました。
子どもが産まれて10年以上経っていました。
逆に自分のしたいことがわからず、、
とりあえず市民講座で手芸をしたり、
語学ももう一度してみたり。
今はだんだん何が好きだったか思い出してきました。
すると、今の自分で自分らしいのかな?
私の子供の時から知る友だちから
「落ち着いたよね〜」
「家族もできたからかな」
なんて言ってましたが、自分がなくなっていただけかもと思うようになりました。
でも、、本当に好きなことだけ考えてみたら
きっと、私はこの家にはいなくなる。
子どもを置いてどこか放浪してしまうと思う、、
旦那は自由気ままなひとなので、
親が2人いなくなるのは今はダメだろう。
だから、私が落ち着いたんだと腑に落ちる
今は、子育てが大事
だから、ちょっとだけ自分の好きな事をしてみる。
あと数年したら子どもも手が離れ、その時は思う存分好きに生きられたらなとおもいました!
我慢しない!自分も幸せになる
溢れ出た幸せはお裾分けできる
最後まで読んでいただきありがとうございました