2025年も大詰めですね。

キイナの「愛燦燦」、自愛に満ち、生きとし生けるものすべてへの愛に満ち満ちた心にしみいる歌唱!


そして、うっとりするような純白の衣裳のロングジャケットの大きなえりと蝶タイのスワロフスキーの輝きは太陽の光のようにも感じられて、そのヘアスタイル、メイクの麗しさにもうっとりさせられました。

キイナ、素適な歌唱をありがとう。

胸がいっぱいで言葉になりません。


今、わたしはあなたの歌唱の力で自分まで輝いているみたいなの。

燦燦とふりそそぐ愛に包まれて、幸せな2025年の大晦日になりました。

 

今回は、オープニングから登場され、お隣のかたと楽し気に会話をされていると思ったら、水森かおりさんでしたね。笑顔のおふたりに嬉しい気持ちに。


前後しますが、「年忘れにっぽんの歌」での、「舟唄」は絶品!

歌の神宿るといったらよいかな?

キイナの歌唱から八代さんがうかんできて、あの優しい声とまなざしがよみがえって、涙がこぼれました。

 

このあと、引き続き「NHK紅白歌合戦」をみて、年が明けるそのときには「白睡蓮」を聴きながら、2025年を送り、新しい年をお迎えしたいと思います。

 

「白睡蓮」を初めて聴いたのは、日比谷音楽祭の開場を待っているとき。

直前リハーサルをされていて、風にのってとぎれとぎれにキイナの歌声が聴こえてきたのです。

まごうことなくキイナの歌声ではあるけれど、でもまったく聴いいたことのないメロディ。

どなたかとのコラボ?

と、そんな出会いでした。

ステージで新曲であることが明かされ、その曲を聴いたとき、

”♪来世で会おうね 来世ははぐれないでね”というサビのフレーズが心に響き、聴くほどに、それにしてもなぜこんなにも力を込めて歌うのだろう? と思うようになったのです。

 

でも、そのわけが、とても個人的な感覚ではありますが、かけがえのない人との別れを経験して、わかったというか、了解できたのです。

 

どのタイミングで皆さまにおしらせしようかと思案しているうちに、今になりましたが、

8月16日に母が永眠しました。

 

5月末に不調があり、6月から入退院を繰り返して、ずいぶん治療もがんばっていたのですが、食べたり、飲んだりすることが次第にできなくなっていったのです。

点滴で保っていたのですが、あるときを境にみるみる体力が落ちていきました。

ついこの間まで、大好きな囲碁の教室にかよっていたのに、美容室にもいっていたのに...。

 

お盆にはいったころ、親戚や親しくしていたかたたちに、いつ声をかけようか、少し持ち直すと思えた時期もあったので、あまりの急変に時期を逸してしまい、父の決断でほんとうに親しい2人だけに急遽声をかけることにしたのが8月13日の夜でした。

 

一度退院しましたが、肺炎を疑って休日診療にいったら急遽再入院することになり、病室のベッドの準備を待っていました。

ストレッチャーによこたわった母は、わたしに、

「みんなともっと一緒にいたい気持ちはあるけど。でも、おかあさん、なんにも思い残すことないの、やりのこしたこともないの。だからあとは静かに...」

と。

わたしは、

「おかあさん、そんなこといわないでよ」

というのがやっとでした。

 

暑かった夏の日。

病院にお見舞いにいった帰り、家族が駐車場から車を移動させるのを待って病院の外のベンチにすわっているとき、わたしには、いつもキイナの「白睡蓮」が聴こえていました。

”♪睡蓮の池のほとりに 行きたいと遠い空見た”

というこのフレーズを聴くと、暑かったあの日の風景とわたしの揺らめく心がよみがえります。

 

もしかして、もうお別れの日がそこまで来ているんだろうか?

ふるえるような不安な思いを、キイナの歌声が包んでくれました。

 

そして、旅立つ前日は父の誕生日だったのですが、今にして思うと父の誕生日だけはがんばりたいという思いがあったとしか思えないほど、その日は少し持ち直して、会話もかわすことができたのです。

主治医の先生に、「治療の効果も思うようにでていないし、今の状況だとこの夏を越せないかもしれません」といわれたものの、もしかしたらという気持ちにさせられたのですが、旅立った日は、朝から調子がよくないようで、先に病院にいっていた弟から電話がありました。

わたしのなかでなにか期するものがあったわけではなかったののですが、お見舞いは後日にするという父を説得して一緒に病院へいきました。下の弟も沖縄への家族旅行を中止していたので、その日はお見舞いにきたのです。

家族5人がそろっているとき、わたしに、「遺言をいうからメモして!」と母は突然いったのです。

わたしはボイスレコーダーをだして、母に、「おかあさん、レコーダーもってるから、いって」と。

すると、

「がんばってがんばったけど、力尽きました。もう終わりにします」

と、いい、生真面目な母らしく自分のフルネームを名乗ったのです。

 

その数時間後、母は旅立ちましたが、毅然と自分を貫いた別れでした。

 

7月1日に稼業の会社に就職して、母もとても安心し、父のことも託せると思ってくれていたようですが、就職を決めた3月には、8月に別れの日がくるなんて夢にも思っていないことでした。

 

父の食事(超美食家です・汗)や、身の回り(母が甘やかしてきたのでほとんどなにもできず・汗)のこと、さらに家全体のきりもりをすることになり、平日は仕事と家事諸々でいっぱいいっぱいになることが多くなりました。


でも、ああタイヘンと思うたびに、これまでは母のおかげで自分の時間をほぼ100パーセント自分だけのために使うことができていたんだなあと。感謝の思いがわいてきます。

そして、母の分まで父を大事にしたいと思うのです。

 

ブログの更新がはかどらないのも、じつはそういった事情がありました。

 

父との生活スタイルができあがってきて、少しずつ楽になってきた面もありますが、思えば日を置かずブログを更新できたのも母のおかげだったのだと気づいたのです。

 

そして、ふたたび「白睡蓮」についてですが、サビの部分を力強く歌うことについて、そうだからこそ説得力をもってわたしの胸に迫ってくるのです。

理屈ではうまく説明がつかないのですが、心の奥底に自分のこととしてくっきりとつたわるのです。


リリー・フランキーさんは、キイナが真面目だから、どこかで声張らないといけないと思っているのでは?とおっしゃっていたかと思うのですが、「白睡蓮」のサビのフレーズを優しく、あるいはつぶやくように歌われたら、自分のことではなく、自分ではない誰かの物語に感じられてしまうのではないかと思うのです。

あれだけ力強く声をはって歌ってくださるからこそ、

きっと、そう。

目には見えないけど、魂は不滅。

来世でまたきっと会えるのだと、悲しみ、さびしさを吹き飛ばし、今ここにいないのだという現実を超えて確信させてくださる力があるのだと思うのです。

 

これまで母には、キイナに贈るメッセージカードであれこれ協力してもらってきました。

最初は、ジンジャーマンのカードでした。

 

 

 

 

 

先に再掲載した記事にありますが、キャンドルカード。

 

 

 

 

 

そして、散華カードを「男の絶唱」のイメージで。

タイトルの書は、書家のOさんが書いてくださいました。
 

 

 

 

あらためて、当事、メッセージに参加してくださった皆さま、ありがとうございました。


母がみずからこのブログを読むということはほとんどなかったのですが、いつも応援し、協力してくれていました。

そのことを思うと、これまでのようなペースでの更新は難しいときもありますが、ゆっくりマイペースでつづけていかれたらと思います。

 

皆さま、2026年もどうぞよろしくお願いします。