昨夜の「SONGS」に感動、そして感涙。

そう、kiiの言葉を借りるなら”大感涙”したのです。

 

そもそも「SONGS」とは、”クオリティの高いサウンドと映像で1960年代から現代に至るJ-POPの名曲をお届けする大人の音楽番組”ということですが、”番組の顔”である大泉洋さんも、昨年のきよしさんの活躍に、”見たい人”のひとりになったとお話しくださっていました。

そう、氷川きよしは、”知っている人”から”見たい人”へとその存在感を深めたということなのでしょう。

 

1曲めの「限界突破×サバイバー」のパワーみなぎる、エネルギッシュでしなやかな歌声!

昨年の「NHK紅白歌合戦」の夢舞台にどんな覚悟で臨んだのかをあらためてそのトークでしって、感無量になりました。

 

続いての「ボヘミアン・ラプソディ」では、ロックパートの前にすでに激しい感情が抑えられず噴出して、それをうけてのロックパートは心持控えめになっていて...。

そう、それこそがこころのままに歌う kiのすごいところなのだとあらためて感じたのです。

kii のライブでは、1曲としての様相やクオリティはそのままに、けれどもそのときどきのこころのままに歌うとき、kiiの魂と深く共鳴するフレーズが、突出して深化する瞬間があるといったらよいでしょうか。

もちろん、わたしには冷静に分析などできませんが、そんなときは、ただただ、いつにもまして感動し、涙がとまらなくなったり、座席をすぐには立てなくなるといようなことになっていました。

だからこそ、kii のひと節、ひと節、ワンフレーズ、ワンフレーズを聴きのがしたくなくて、できる限りのコンサートやライブに参加させてきたのです。

 

そして3曲目の「Papillon(パピヨン)」を聴いていて、この曲は”氷川きよしのボヘミアン・ラプソディ”!

なぜだかそんな思いが突き上げるようにうかんてきて...。

今さらながら、ニューアルバムの「Papillon(パピヨン)-ボヘミアン・ラプソディ-」、というタイトルへの思いを感じたのです。

あのゴールドの衣裳が蝶の翅のように優雅に広がる様子に、ポップスコンサートでどんなに素晴らしい歌唱とパフォーマンスを用意してくれていたのだろうと思わずにはいられませんでした。

バンドメンバーのチームHKからも出演されていて、ドラムの松本直樹さんが「ボヘミアン・ラプソディ」で、銅鑼を鳴らしたとき大写しになって、もう~嬉しかったです。

いずれ必ずポップスコンサートを開催してくださるでしょうから、そのときは、ベストな状況で、スタンディングもしちゃうし、kii と一緒にヘドバンもしちゃう!

と、そんな楽しい想像まで(汗)。

 

今、この時期に「SONGS」が放送され、kiiの魂の3曲を聴かせていただけて、ほんとうによかった!

 

コンサートが再開し日常がもどってきても、わたしは、2020年6月13日に、テレビの前でどんな思いで「SONGS」に見入り、kiiの歌声にどんな状況にあっても未来を信じる力と、今の状況でも、日々を愛しんで生きていこうという思いを抱かせていただいたことを思い出すでしょう。

 

kii!

きよしさん、

魂の歌声をありがとう。

 

大きな時代の転換期を、あなたの歌声と存在が支えになり、日々生き抜いていかれます。

わたしたちが苦しいとき、きっとあなたも苦しいでしょう。

わたしたちが不安なとき、きっとあなたも不安でしょう。

わたしたちが悲しいとき、きっとあなたも悲しいでしょう。

 

それなのに、愛とパワーに満ちたとどけてくださってありがとうございます。

あなたの歌声は、ときに暗闇に閉ざされたこころを照らしてくれるのです。

 

インスタからも、たくさんのあなたの思いを感じて...。

笑ったり、驚いたり、感動したり!

いつも、まるですぐ近くにいてくださるようで、安らいでいます。

 

あなたとともにこの時代にこの地球に生きていることが幸せ!

心から日々そう思っています。

 

 

※ひとつ前の記事に明治座さんの画像を追加アップしています。

よかったらみてみてくださいね。

 

さて、思えばアメブロには昨年の9月5日に引っ越ししてきたのでした。

あれから、あっという間に9カ月が経っています。

 

Yahoo!ブログ時代からお読みくださっていた皆さんはご存じだと思いますが、昨年の今頃はYahoo!ブログのサービス終了を区切りにブログも終わらせることを考えていました。

でも、きよしさんの20周年をファンとしてすごさせていただくなかで、9月6日の大阪城ホールでの20周年記念コンサートを書きたいという思いが募っていって...。

さらに、わたしを決意させたのは、8月に仕事の取材でお会いした輝きに満ちた押しも押されぬあるトップスターの方の、撮影のときにみたさみしそうな後ろ姿でした。

後ろ姿がさみしかったというよりは、その後ろ姿に隠せないさみしさがにじんでいたのかもしれません。

その後ろ姿がなぜだかきよしさんと重なって...。

 

おこがましくも、氷川きよしの生き様を、そして幼虫が蛹(ピューパ)になり、羽化していく彼のメタモルフォーゼを書きとめたいという情熱のようなものがわいてきたのでした。