わりと、いろんなことがうまくいったりしていると
よくない意味で慣れてしまうというか
ちょっとのありがたいこと、うまくいったことがあっても

 

 

 

そんなに感謝できない、というか
ありがたいと思わない、みたいな感じになってくることは
あるんじゃないかなと思います。

 

 

 


これは、すごくよくわかる気もするのですが
要注意というか、ほんとに、危険な兆候だと思います。

 

 

 


じゃあ、そんなにありがたいとも思わないのに、
ムリしてとか、大げさに感謝すればいいのか、というと
そういうことでもないように思うのです。

 

 

 


その「小さいことだとありがたいと思えない」
というのが、一番の問題点
のように思います。

 

 

 


その「小さいこと」が
たとえば、金額の大小なのか、あるいは
名誉の大小とか、

影響力などの違いなのかはわかりませんが

 

 


大きなことじゃないとありがたいと思えない、というのは
たとえると、何か、仕事などで

 

 

 

 

「チマチマした仕事なんかやってられるか。

私はもっとでっかいことをやるんだ」
みたいに言っている心持ちと同じなんじゃないかな、
と思ったのです。

 

 

 


(ちょっと、たとえは違うかもわかりませんが)

 

 


そしてこの
「チマチマしたことなんか・・・」ですが

 

 

 

 

大きな仕事って、小さな仕事がいくつも積み重なって
成り立ってる
ことが多いんじゃないかなと思うので

 

 

 

 

基本、「チマチマしたことなし」では
成り立たないんじゃないかなあと思うんですね。

 

 


(もちろん、例外というのもあるかもしれませんが)
 

 

 

それと同じように、金額が大きかったり
成果や影響力の大きなことって
いきなりくるわけじゃなくて、

 

 

 

 

小さなことに感謝して、
それでお相手の方も喜んで下さったりして

 

 

 

 

それでご縁が続いていったり広がったりして

大きくなっていって
大きなことにつながっていく
、ということじゃないかと思うので
 

 

 

 

やっぱり、「チマチマなし」では
成り立たないんじゃないかな、と。

 

 

 


逆に言うと、小さなありがたいことに慣れてしまって
小さなことへの感謝が抜けていくと
建物が土台から崩れていくように

 

 

 

 

今ある生活とか、大きく言うと「幸せ」みたいなものが
土台から崩されていく
んじゃないかな、と思うのです。

 

 

 


だから、危険な兆候だと。
 

 

 

じゃあどうしたらいいのか、ですが
これはもう地道に
ありがたいと思う、っていうのを

たゆまず続けていくことじゃないかなと思います。

 

 

 


たゆまず、というと
何か作為的に、とか
ムリに、とかいう感じがするかもしれないですが、

 

 

 

 

そうではなく、純粋にというか。

 

 

 


「感謝のハングリー精神」というと
語弊(ごへい)があるかもしれませんが
純粋にありがたいと思える心をはぐくんでいくというか。

 

 

 


何かきれいごとというか、
堅苦しい感じがするのではとも思うのですが
やっぱりこれが大切なんじゃないかなと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さなことに感謝できなくなったら

要注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、何かのヒントになりましたら幸いです。

 

 


最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

 

 

 

※あわせて読むといい記事