こんばんは。
すごくざっくり言うと
幸せになりたくて、学んでるのに、
何か、きゅうくつになったり
逆に、周りとの関係がおかしくなってる? みたいなことって
ありませんか?
まじめにやればやるほど。
でも何か
せっかくここまでやったし、
途中でやめるのも何か意志が弱いみたいで嫌だし
っていうんで、突っ走っちゃう。
で、何だかもっと
おかしくなっちゃう、みたいな。
そういうこと、ありませんか?
僕も、あったんですね。
昔「お肉、お魚(動物)、卵など、動物由来のものは食べない」
っていう食事法にハマってたことがありました。
(今でいう、ヴィ―ガンに近いかもしれません)
なんでやろうと思ったかというと
「ツキがよくなる」と聞いたから。
で、ハマったんですねー。
(やり始めて
「ツキがよくなった」
っていう実感もあったんだと思います、当時は)
そうすると、何より、家族との関係がおかしくなるんですね。
当時は結婚していまして
奥さんに同じ食事をするように強要する、なんてことはしなかったですが
まあ、そういう、こだわったのが1人いると、やっかいですよね。
(自分のことです)
で、そんな食事なので、やせていったんですね。すごく。
本人はいたっていい感じなんですが
周りは、やっぱり心配するんですね。
当時は母も健在だったので
奥さんも、母(義母)から
「あなたがちゃんとしないから」とか
責められてたんじゃないかと思います。
(今さらながらですが、本当に、当時の奥さんにも
申し訳ないことをしたなと思います)
で、いろいろあって、この食事法は終わりにしたのですが
やってる間は家族の間がおかしくなったわけです。
で、何で、こうなってしまったかと考えると
「何のために」が抜けていたから
だと思うんですね。
ツキをよくしたい、というのも
つきつめれば
「幸せになるため」だと思うんです。
「ツキをよくしたい。
でも、不幸せになりたいんですよ」
って人はいないと思うので。
(自分も含めて)
でも、こうなってしまう。
幸せになるための「手段」であるはずの食事法が
「目的」にすりかわってしまう。
もちろん、自分の意識では
「ツキをよくするために」ってのはあるけど
実質的に、そうなっていない。
食事法に限らず、こういうことって、
ほんと、多いんじゃないかなと思うんです。
とは言いつつ、ほんとにこれって
微妙だと思っていて。
学び始めたら
「ある程度、つきつめないと」
ってところはあると思うので。
でも、それでもやっぱり
「何のために」っていう
目的をしっかり意識すること
目的意識をしっかり持つこと。
それを毎日、というか、
ことあるごとに意識しなおすことが
大事かなって思います。
でないと
「幸せになりたくて」のはずが
真逆になってしまう、なんてことも
あるかと思うので。
それ、何のためにやってる?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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