こんばんは。
昨日「がんばりたいけどがんばれない、でもがんばりたい」という、あなたへ」の記事で
「好きなことをやる時の感じでがんばりたいことに向き合おう」
というようなことを書きました。
それで、
「ものの、本来のとは別の使い道を考えてトレーニングしよう」
という風に話をしていきましたが、
じゃあ具体的に
「どう、その好きなことに向き合う感じをがんばりたいことに活かすの?」
ってことを書いてないと思いました。
なので、それについて、今回はお伝えしたいなと思いました。
個人的な話になりますが、
僕は、小学6年生くらいの頃から、
あるプロスポーツを観るのが好きになったんです。
それで、雑誌を買い集めていたりしたんですが
気づいたら、それがけっこうな量になってたんですね。
それで、物置を買ってもらって
(イナバの物置、みたいなもの)
そこにしまおう、ってなったんですが、
1冊1冊、ビニールの袋に入れて、
セロテープできちーんと留めて、っていうことを
何百冊もしてたんです。
それは、中学生か、高校生くらいの頃の話で
我ながら、几帳面(きちょうめん)なことしてたなあ、
と思うのですが
じゃあ、ふだんから、とか
仕事において、そこまで几帳面か、といったら、
そうではないわけです。
けっこうめんどくさがりだったりしますし
雑というか、「がさつ」だったりもします。
で、何が言いたいかというと、
ふだん、そんなふうな自覚がある僕でも、
中学・高校生の時のことだったとしても
「几帳面にやれる部分」というのがあったということ。
それこそ、その
「几帳面にやれる部分」っていうのは
自分の中の、物置のずっと奥にしまっていて、
ほこりがかぶったままになっているかもしれないけれど
確実に、ある。
だって今、生きてるわけですから。
本体(自分)が。
前に、「お財布の中に1万円入ってても、
それに気づかなければ使えない」ってお話をしましたけど
この例で言えば、「几帳面さ」も、
「あるんだ(あったんだ)」って気づかなかったら、ないのと同じだし
使えないと思うんですね。
あるのに。持ってるのに。
逆に言うと、その
「いろんなものを持ってる」っていうことに気づくための
「好きなことに向き合う時のやり方でやってみる」とも
言えるかなとは思うんですが。
で、その几帳面さ、を物置から出して、ほこりをふき取って
磨いて、大事にしていく。育てていく。
いきなり100%全開で、がんばりたいこと(仕事等)に
几帳面さを使ってく、みたいなことでもなくてもいいから
1%でも、0.1%でもいいから、とりいれてこう、ってやってみる。
そうして、そのエッセンスというか要素を
「がんばりたいこと」に応用していく。
そんな感じで積み重ねていくことで、
「がんばりたくてもがんばれなかったこと」にも
気持ちよく力を出せるようになるんじゃないかな、
って思うんですね。
あくまでも一例で「几帳面さ」を出しましたけど
たとえば、
仕事で、相手の方(かた)に強く出れない、
なんていうことがあったとしますよね。
がんばって、強気でいこうと思うけど、
どうしても強く出れない、っていう。
でもたとえば、プロ野球のファンで、
(今は時期的に難しいですけど)
球場に行って応援する時は大声出すし、
いい場面の時は絶叫しちゃう、
みたいなことがあるとしたら、
それを使えないかと考えてみる。
もちろん、仕事相手に強く出る、というのと
野球の声援で大声上げるのとでは、
状況も何も全然ちがうわけですが
そういう一面もある
(そうできる要素を持っている)
っていうことは、まちがいないと思うんです。
(「強く出る」と「大声を出す」とが
イコールとは言えないとは思うんですが
大まかな方向性として)
だからこそ、そこは、ムリなく
「これができる、ってことは
これもできるんじゃないか」
みたいな感じで、自分の中で段階を踏んでいく。
いきなり仕事に応用、とかじゃなくても
別のことでも、
「野球で応援」の要素をとり入れていく。
で、もし仕事相手の人に応用できたとして
その人に対して、
100%、言いたいようには言えなかったとしても
それまで0だったものが、
仮に、1個でも2個でも言えたとしたら
すごい進歩だと思いますし
逆に、それができた自分をほめてあげる。
「なんだ、たったの1個2個じゃないか!」じゃなくて
「0だったのに増やせたじゃん!すごいじゃん!」って。
こう書くと
「それでほめていくと、満足しちゃって、安心しちゃって
それ以上やらなくなるんじゃない?」
っていうふうに思うかもしれません。
たしかに、安心、っていうか慢心になっちゃう、っていうことも
なくもないかなとは思うんですが、
基本的には、大丈夫じゃないかなあと思うんですね。
なんでかっていうと
自分で認めてあげることで
「快」な気持ちになると思うからです。
人間の行動って、大きく分けて2つある、と言われています。
「快」を求めるか、「不快」を避けるか。
なので、「快」を求め続けるようになるんじゃないかと思うので、
大丈夫じゃないかな、と思うわけなんです。
お話を戻しますが、ともかく、
その、好きなことに自分が向き合う時のことを考えた時に
自分にどういう要素があるのかを観察する。
(几帳面、大声を出せる、等)
↓
それで、その要素を、自分のがんばりたいことに
つなげられないか考えてみる。
(観察した要素で、つなげるのが難しそうだったら、
さらに細かく分解する。
大声、だったら「声」にして、たとえば、
ふだんから、前よりも声を張るようにしよう、など)
↓
それで、日々、少しずつ、積み重ねていく。
(100%じゃなくても、1%でもいいから)
こんな感じです。
これも、すぐにどうこう、
とかいうことはないかと思いますが
やっぱりこういうのが一番、
近道なんじゃないかなあ、と思うんですね。
1個1個、積み上げていく、っていう形だと思うので。
もし何かピンとくるものがあったら、試してみて頂けたら
うれしいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
あなたのますますのお幸せを、応援しています!
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