ぜんぜん私より仕事ができない同僚が
自分と同じお給料だったら、やっぱり、腹立ちますよね?
「なんであの子が?」って。
それも、一生懸命やっててそれなら、まだ許せるけど
ぜんぜん悪びれない感じだったりすると
もうほんとに、冗談じゃない、って感じで。
まあ、気にしなけりゃいい、っていうのもありますが
やっぱりどうしても気になりますよね。
はて、どうしたものか。
ちょっと考えてみたいと思います。
それについてムカつく、っていうことは
たとえばその同僚をAさん、とすると
「自分とAさんは同じ給料であるべきではない」
「Aさんは自分と同じ給料をもらいべきではない」
っていうのがあるかなと思うんですね。
たとえばそうだったとして、
ではなんでそう思うのかを考えてみましょう。
「Aさんが、私より仕事をしてないから」
「Aさんが、私より仕事の能力が劣ってるから」
「Aさんは、まだ仕事が残ってるのに、とっとと帰っちゃって
私が残って仕事してるのに、なんだかズルいから」
たとえばこういうような理由だったとして
ひとつひとつ、ちょっと考えていきましょう。
「Aさんが、私より仕事をしてないから」
これの「仕事」が、何を指しているか、具体的に考えてみましょう。
「いや、そんなの、仕事は仕事でしょ。いわゆる、業務」
そうですよね。
ただそれだと、その先に進まない感じなので
ムカついたままで、ラクになる道も閉ざされちゃう感じなので、
もうちょっと考えていきましょう。
「仕事」って、相手に喜ばれてこそ仕事、っていう考え方もあるかなって思うんですね。
もちろん、業務をがんばってるっていう事も
ものすごく価値のあることですし、真っ当なことだと思うんですけど。
それとはまた別の所で
相手に喜ばれる、という。
で、お給料、っていうことで考えると
会社の上役の人がまあ、決めると思うんですけど
「相手」は、けっこう、その辺りの人、っていう場合も
あるかなと思うんですね。
いい悪いっていう事じゃなくて。
そういう視点で観た時に、また違ったものが
観えてくるんじゃないかなって思うんですよね。
「え、何? じゃ上役におべんちゃら言えっていうの?
そんなの、どうなの?」
そうですね。
ゴマすってりゃいいのか、みたいな話にもなりかねない。
だから、いい悪いではなくて、
そういう観方もできませんか、っていうお話なんですね。
ゴマすり、おべんちゃら、まで行かなくても
たとえば、気がつかない所ですごく上役の喜ぶことをしてたり
(いやらしいことじゃなくて)
それはホントにさりげなくて
周りの誰にも気づかれないような感じなんだけど
された本人(上役)にだけはわかる、みたいな。
そういうところで評価されて
同じ額の給料をもらってるんだけど、
その部分は誰にも気づかれないから
「なんであの子が!」みたいになる・・・
・・・って、ここまで書いたことはあくまで想像(妄想)で
「全然そんなことないよー」「ぜんぜん気ーなんか使ってないよー」
って場合もあるかもしれません。
じゃ何が言いたいのかというと
「見えてない所も、どこかにあるんじゃないか」
ということ。
怒りっていうのは、たいてい、
「私が正しい」から始まるので、
じゃあその「私は正しい」はどこからくるかっていうと
いろいろあるかと思うんですけど
「私は全部わかってる」ってところからも
きてるんじゃないかなって思うんですよね。
この場合で言うと「Aさんの仕事のことは全部わかってる」っていう感じで。
でもその「仕事」っていうのを
上みたいな感じで観たりしてくと
「全部」とも言えなくなってくるんじゃないかなと思うんですね。
それは、責めてるわけじゃなくて
他の可能性も考えられるから正しさを手放せて、
苦しまなくても済むようになるよ、っていう事が言いたいんで。
だからって、もちろん、
何でもかんでも、ただの「お人よし」みたいに
「何かの事情があるんだろうから」って
全部がまんしなくちゃいけないとかそういうことじゃなくて。
いろんな視点・前提で考える(観ていく)ことで
正しさを手放せて、イライラしなくて済むよ、
苦しまなくて済むよ、という事が言いたいんですね。
なので、もし、何かそういうことがあった時は
これじゃなくてもいいと思うので
いろんな角度から眺めてみる、っていうのを
試してみて頂けたらと思います。
誰かに決められた観方に縛られなくてもいい。
自分で決めていいんだ。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
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