今回は、「年令」について考えてみたいと思います。
年令、って、意識したこと、ありますか?
ていうか、この「ねんれい」の漢字って
何か面白くないですか?
「年令」だと単なる数字上のもの。
「年齢」だと、何か、そこにくっついてくるものがあるような感じで。
たとえば「年配」「寄る年波」みたいな。
僕だけかしら?
まあそれはともかく、一般的にですけど
年令によって難しくなることって、ありますよね。
たとえば、出産など。
(初産かどうかでまた変わってくるかと思いますが)
そこまでじゃなくても
「前だったら徹夜しても全然大丈夫だったのに、○○才ごろから
きびしくなった」
とか
実はちょっと階段の昇り降りがキツくなってきたのよね、とか。
あと
「もうこのトシじゃ、誰も振り向いてくれないよね」
みたいなこととか。
年令ってホントに数字なので
具体的でわかりやすいし、その分、ザンコク、ですよね。
そのうえ、何かヘンに科学的な裏付けっぽい説得力もあったりして
なかなか抵抗するのが大変、っていうか、手ごわいっていうか。
さっきの「もうこのトシじゃ」でいえば
ゼ〇シィとかの婚活関係のサイトでも見てみれば
年令別の成功率、みたいのがガチッと出てたりすると思うので。
でも、ですね。
それだけでもないように思うんですね。実際。
この前もテレビで見た記憶があるんですけど
90何才で、ボランティアで活躍してる女性、っていう方を見たんですけど
すごい、元気なんですよね。
全然年令なんか感じさせない、顔も言葉も身体も元気だったりする。
「イヤイヤイヤ、それはちょっと極端でしょ。
そういうの求めてるわけじゃないから」
っていう声が聞こえてきそうな気もしますが。
たしかに今の例は極端で、たとえば40代前後の方が
「自分ごと」として考えるにはちょっと・・・って思うんですけど
思うに
「年令のことを言い訳にしない」
っていうのはあるんじゃないかなと思うんですよね。
90何才だから、これはできないだろうとか
介護する側じゃなくて、される側だろう、
っていうんじゃなくて
「90何才でこれがやれたらスゴイよね」
っていう感じじゃないのかなと。
年のことを持ちだすとすると、ですけど。
実際には、そんなに意識してないんじゃないかと思うので。
何でこんな風に考えたかっていうと
年令のせいにするのって、せいにできるような年になったから
そうしてるだけで、
実はその前から
「○○のせいで」ってしてるような気がしたんですね。
(ぼく自身も含めて)
もちろん、ただ年令のことはムシして、何でもすればいい、
っていうコトではないです。
すっごい危険なコトもあると思うので。
そういうことじゃなくて
「もう、○○才だから」っていうようなのが出て来たとしたら
「ちょっと待てよ。そうじゃない例外ってないかな?」って考えてみて
何か、ちっちゃな所からでも
自分の常識を打ち破っていくっていうか
そういうことをしていったら、絶対、自信にもなると思うし、
そういう人って絶対魅力的だと思うんで、
魅かれる人も絶対現れると思うんですよね、ほんとに。
だから、年令を言い訳にしない。
「もう○○才だから」が出そうになったら
「○○才だけど(△△する)」
「まだ○○才だから(□□できる)」
に言い換える。
ささいな事みたいですけど
これだけでも、キモチ的に、
かなり違ってくるんじゃないかなって思うんですよね。
実際に口から出たり、意識できたりするものの奥に
無意識で「○○才だから」っていうのは心の中で渦巻いてると思うので
それを食い止めて、逆転させる、っていう意味で。
そして、やっぱり、そういう方が人生小気味いい、っていうか
シンプルに楽しくなると思うんですよね。
毎日がレボリューション、っていうか。
常識を破壊していくわけなので。
そうなると、逆に、年齢が味方になってくれると思うんですね。
「アタシ、○○歳だけど、こんなことできた!」って。
っていうわけで、もし何か、年令のことで
「・・・」って思うようなことがあった時は、
試してみて頂けたらうれしいです。
最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。
あなたの幸せを応援しています。
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