上町、江戸時代は上方限といわれた地域。それは、鹿児島城(鶴丸城)の本丸と二之丸が境となり、本丸側が上方限。二之丸側が下方限といわれ、時代が下だり上町、下町となる。現在地名にその名残があるのは上本町だけである。
今年のNHKの大河ドラマ天璋院篤姫が始まってから上町の注目が高まってきた。
土曜の南日本新聞にもあるように上町まちづくりで市や県の行政と9町内会、3通り会、まち歩きガイドがいる観光ステーションが一同に集まり初の座談会があり、篤姫関連で形のある史跡が少ないことの課題が上がった。
さらにその夜には、鹿児島駅周辺まちづくりワークショップの講演会もあった。(ありがたいことに新聞を見たよと連絡がいくつもあった)講師はミュージアムプロデューサーの砂田光紀氏。砂田氏の話は、今もある鹿児島らしい素材を上手く活用したらとヒントを分かりやすく示してくれた。
そして土曜、三木先生も鹿児島のまちづくりには鹿児島らしさをと強くアピールされて鹿児島城復元を唱えている。そして今すぐできる提案もあった。
例えば、今和泉家上屋敷前のバス停名を今和泉上屋敷前(篤姫生家)に変更若しくは併記するとか、
今和泉家の大名並みの格式がある家の説明を記した案内版などの設置とか。
また、三木先生の講演で聞いたことだが、谷山のふるさと考古歴史館に現在展示されている今和泉家上屋敷跡から出土した生活道具等の話。これらを教育研究所にも展示できたらいいと思った。
探せば、見つかるものもある。上町まちづくりで一番忙しくしているのはH氏だろう。彼の奔走で色々実現され、テレビ取材もいくつも入るようになった。ありがとうと感謝している。
鹿児島駅周辺まちづくりワークショップのまち歩きイベントもあと1ヶ月。
明日は、イベントの案内をお知らせします。
今年のNHKの大河ドラマ天璋院篤姫が始まってから上町の注目が高まってきた。
土曜の南日本新聞にもあるように上町まちづくりで市や県の行政と9町内会、3通り会、まち歩きガイドがいる観光ステーションが一同に集まり初の座談会があり、篤姫関連で形のある史跡が少ないことの課題が上がった。
さらにその夜には、鹿児島駅周辺まちづくりワークショップの講演会もあった。(ありがたいことに新聞を見たよと連絡がいくつもあった)講師はミュージアムプロデューサーの砂田光紀氏。砂田氏の話は、今もある鹿児島らしい素材を上手く活用したらとヒントを分かりやすく示してくれた。
そして土曜、三木先生も鹿児島のまちづくりには鹿児島らしさをと強くアピールされて鹿児島城復元を唱えている。そして今すぐできる提案もあった。
例えば、今和泉家上屋敷前のバス停名を今和泉上屋敷前(篤姫生家)に変更若しくは併記するとか、
今和泉家の大名並みの格式がある家の説明を記した案内版などの設置とか。
また、三木先生の講演で聞いたことだが、谷山のふるさと考古歴史館に現在展示されている今和泉家上屋敷跡から出土した生活道具等の話。これらを教育研究所にも展示できたらいいと思った。
探せば、見つかるものもある。上町まちづくりで一番忙しくしているのはH氏だろう。彼の奔走で色々実現され、テレビ取材もいくつも入るようになった。ありがとうと感謝している。
鹿児島駅周辺まちづくりワークショップのまち歩きイベントもあと1ヶ月。
明日は、イベントの案内をお知らせします。
