一人はレスリー・ゴーアさん。

高校時代、オールディーズにハマっていた頃、「涙のバースディパーティ」や「恋と涙の17歳」等よく聴きました。
しかしながら、レスリー・ゴーアさんについての知識はほとんどありませんでした。

私はてっきり、アイドル歌手かと思っておりましたが、シンガーソングライターだった事に驚きました。

しかも、相当、昔の方かと思っておりましたが、まだ65歳という若さで、活躍された時代もビートルズと同時期だそうで、少し意外でありました。
アイドルだと思い込んでおりましたが、歌い方が独特だったので不思議な感じで動画をよく観て
いましたが、シンガーソングライターという事で、やや納得しました。
レスリー・ゴーアさんのご冥福をお祈り申し上げます。
もう一方は、ミュンヘン・オリンピック、重量級、無差別級の金メダリスト、ウイリアム・ルスカさんです。

正直、柔道時代のルスカさんは子供だったので全く記憶にないのですが、アントニオ猪木との異種格闘戦でのルスカさんがかろうじて記憶にある程度です。
柔道時代については、当時オランダの柔道界は東京オリンピックの金メダリスト、アントン・ヘーシンクさんの政治的力が強く、空手バカ一代のジョン・ブルーミンさんや、リングスのクリス・ドールマンさん、ルスカさんは苦い汁を飲まされたようで、実力的には、次のオリンピックでの金メダルを狙える実力をもちながら、代表の選考からもれ、奥さんの病気の治療費の為、猪木の負け役を受けたのだそうです。

当時、裏の事情を知らない、小学生だった私は、父親と「やっぱりプロレスラーは強い」と猪木の勝利を普通に信じていました。
視聴率も20%を超えたらしく、おそらく日本中の人が、猪木の勝利に「柔道はプロレスラーにはかなわない」と思ったのではないでしょうか。
その後ルスカさんは、新日本プロレスで鍛えたいと言う、お約束的なパターンで新日本プロレス
に帯同されて、プロレスラーとしてしばらくリングに上がられましたが、柔道家がプロレスラー
に勝つアングルは許されるような時代ではなく、気の毒なポジションを与えられていました。
そんなルスカさんが、再び評価されたのが、新日本プロレスのレフリーを務めた、ミスター高橋さんの暴露本「プロレス至近距離の真実」でした。
本の中に、「もし真剣勝負をしたら、一番強かったのは間違いなく、ウイリアム・ルスカだった」と書いてあり、まだプロレスのアングルを知らなかった、私を含めた日本のプロレスファン
は、衝撃でした。
プロレスのアングルを話しても許されるこの頃では、長州力さんなど多くのレスラーが、ルスカの驚異的強さを話されており、ルスカ最強説は間違いないであろうと私は思っています。
ルスカさんのような、アマチュアで実績のある人は、プロレスだと割り切っておられる人が多いようで、負け役も嫌がらず引き受けたそうです。
ですから外国での試合を含めると10回前後猪木と戦って全て負けていたと思いますが、ルスカさんは大変な人格者だったそうで「妻の病気の治療費をあてがうのに、新日本プロレスお世話になった」と話されているとのこと、それにしても猪木にはいつもながらあきれさせられます。
「ルスカはプロレスラーとして2流だった」と時々言う人がいますが、真剣勝負をしてきたルスカさんにしたら、プロレスでトップを取りたいという欲望がなっかたのだろうと思います、引退後のヘーシンクと比べ、気の毒な道を歩んだ感のあるルスカさんですが、金メダルについての質問に「金メダルが俺に何をしてくれた!」と話されたそうです。
もしあの時代にバーリ・トゥヴゥがあればと、本当に悔やまれます。
ルスカさんのご冥福を申し上げます。