ラッシャー木村 | 「はじめての出来事」

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本日サンミュージックの相澤秀禎会長がお亡くなりになりました。

淳子さんを育てられた相澤会長の突然の訃報に言葉が見つかりません、

淳子さんも胸を痛められていることと思います。

謹しんでご冥福をもうしあげます。お疲れ様でした。


そして本日はラッシャー木村さんの三回忌です。

木村さんといえば、私の友人が原付で車と接触事故にあい、相手の女性

の傲慢な態度に腹を立て、クレーマーである友達は女性の言われた日に

相棒を連れて、女性の家に乗り込んだところ、横に大男が腕を組んで座って

いたそうで、彼も180cmあるのですが、あまりの迫力にびびったそうです。


それが木村さんだったのです、木村さんはとても気さくな人柄でクレーマー

な彼も、おこずかいをもらってそ~っと帰ってきました。



木村さんといえば国際プロレス崩壊後、吉原社長が新日本プロレスの猪木、新間と構想した5対5の全面対抗戦の契約に対し、猪木と絡むと最後は使い捨てにされてしまう事が目に見えていたため、マイティー井上達は、信頼のおける馬場さんの全日本に行くのだが、木村さんも周りに馬場さんの方に行くよう

勧められたが、国際のエースだった木村さんは構想破棄の責任をとって新日本と契約したのですが、予想以上に猪木に散々な扱いを受ける事になってしまうのです。


猪木1人と木村、浜口、寺西の1対3の変則マッチをやらされたり、木村さんが

新日本を降りる事になると、テレビマッチで猪木に壮絶なリンチを受け(もちろん出来レースですが・・・)TKО負けをさせられ、商品価値をとことん下げられながらも負け約を演じ切られていました。

当時プロレスの舞台裏を知らなかった私は、猪木はどうして木村さんにここまで

やるのか理解できなかった。

くしくも国際プロレスのエースだった木村さんを、悪役にしても木村さんの人柄

からしても、テレビを見ている視聴者は木村さんを悪役に見れなかったのでは

ないだろうか。


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しかし商品価値の下がった木村さんを馬場さんは、やはり見捨てなかった。

馬場さんは生前「木村に俺がダウンしたら遠慮なく頭へキックしてこい、とどれ

だけ言っても頭にキックしてこない、」と話されていた。木村さんの人柄を現して

いる言葉です。


木村さんは大相撲出身で十両直前で、十両に昇進すると、やめられなくなると

思いプロレスラーに転向した。

あまり知られていないが、まだ日本でサンボが知られていない頃から、トレーニングでサンボをやっていた。


ルーテーズに、馬場、猪木、木村で一番強いのは?との質問に「相撲とサンボ

をやっていた木村だろう」と答えている。


しかし木村さんは、国際プロレス時代金網デスマッチでオックスベーカーに足を複雑骨折させられたことから、新日本のリングに上がった時には、足は細く、スピードについていけず、やられ役に徹していた、猪木、新間はどのような気持ち

であのようなマッチメークをし続けたのか、当時の木村さんの気持ちを思うと今

でも怒りがこみあげてきます。


それでは、
本日の淳子さんです。「はじめての出来事」


ミニポスターですが、このポスターでも口をやや開けております。

加納典明さんが、以前「山口百恵が、初めて口を開けた表情で写真を撮った

アイドルだ」とテレビで話されていましたが、確かに百恵さんは口を開いたグラビアの印象は大きいです。

しかし淳子さんも口を開けた写真が結構

あります、このポスターなど比較的初期の淳子さんです。

イメージの問題でしょうか?皆さんはどお思いますか?