「猪木vsアリ戦」の本当の本当の真実 | 「はじめての出来事」

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淳子さんが大活躍の1976年、巷では猪木vsアリ戦が大きな話題となった。

事の始まりは、アリが日本レスリング協会会長の八田一郎氏に「東洋の格闘家で俺と戦う奴はいないか」と得意のリップサービスで言い出した。
八田氏は鶴田にどうかと考えこの話しを日本にもち帰ると、猪木がこれに喰いついた。

「イノキ?who are you?」小馬鹿にしたアリの言葉に、当時小学生の私は、世界チャンピオンの猪木を知らない事に驚いた。プロレスのチャンピオンとボクシングのチャンピオンを同等だと思いこんでいたいたからだ。
初めから、戦う気の無いアリ陣営は、しつこい猪木側に巨額のファイトマネーを要求してきたが、猪木サイドはアリ戦を諦めず契約にこぎつけた。

アリが試合の為来日、当然プロレスの舞台裏を知るアリサイドは単なるエキシビションと考えていたが、猪木が真剣勝負を考えている事がわかりあわてた。さらに法外なマネーを要求し、最後までもめた。約16億で合意したが、そのせいでロイヤル・リングサイドは30万となッた。

なんとか実現にこぎつけた猪木だったが、試合内容は「世紀の凡戦」と酷評された。
プロレスの派手な技を期待したファンが見たのは????寝て戦う猪木、まだ総合格闘技等ない時代
「やはりプロレスは八百長か」猪木はあらゆる方面から責められ悩んだ。

後に猪木はアリ側が、直前になり、チョップ、投げ技、タックル、ひじ打ち禁止を要求してきた応じないと試合はしないというので、あの戦い方しか方法が無かった事をマスコミに公表した。
アリのグローブは石こうで固められていたと迄言っていた。

時は流れ、日本にも総合格闘技が定着し、ファンもあの試合の評価が変わった、「あのルールで戦った猪木は素晴らしい」実さい私もそう思った。

しかし最近numberの編集者、柳澤健の「1976年のアントニオ猪木」という本に真実が記載されていた。
試合後、試合内容で責められた猪木と新間寿は、あの試合の言い訳に帰国して日本にいないアリ側をいいことに、ルールの事をあとずけで考えただけで、本当はルールに関しては正々堂々と戦う事を前提に
急所攻撃と目潰しの禁止ぐらいだけだった事を後に新間寿自身語っているそうだ。

本を全て読んだがかなり信ぴょう性の高い本で、猪木自身も本にサインをしているのだ。
ファイトマネーも決局裁判となり全額払われていないそうで、本来称えられるのは想定がいのセメントをけしかけられ、それに応じたアリではないだろうか・・・。

またしても猪木にやられた・・・・・・。