徳島の剣山は百名山でも有名な西日本で石鎚山に次ぐ
2番目の高さを誇る1955mの名峰です

この山には伝説的な謎があることは知られていますが、
この剣山頂には剣山本宮宝蔵石神社があります

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神社の年中行事に、
毎年7月17日に山頂に神輿を担いで山幸する
「みこし渡御祭」 という不思議な祭事があります

一見話は飛びますが、この山には謎めいた伝説があります

知る人ぞ知る、研究者たちにも支持されている伝説、

それは、古代ユダヤの「契約の櫃(失われたアーク)」
がこの山に隠されているという説です

あのモーゼが神から授かった十戒が刻まれた石版を収めた
箱をアーク(聖櫃)といい、エルサレムのソロモンの神殿に
安置されていました

しかし紀元前900年頃に忽然と姿が消え、歴史上から
永遠に消え去ってしまいました

実は古代イスラエル人がこの櫃をかついで日本に渡来し、
この山に安置したという説がまんざらトンデモ話でなく
支持されているわけです

古代イスラエルのソロモン王の死後、
イスラエルは南北に分断され、、
十二支族いたイスラエル人のうち、
アッシリアの捕囚となった北イスラエルの十部族が
行方不明になったというお話です

東方に移動したことは分かっているものの、
歴史から消えた支族たちの行方、
実はなんと日本に辿り着き住みついていたという

そして、天孫降臨の神話伝説や、日本神道、
そして神社や祭事の礎を築いた

そんな説がクローズアップされるようになっていきます

説得力もあり、大変興味深いテーマです

日本と古代イスラエルとの共通点は数多くの論拠があり、
100%否定するだけの反証は難しいといえます

こういった日ユ同祖論の詳細は、数多く出ている書籍に
委ねるとして、失われた十支族のうち、
一部(イザヤ一行)が聖なる櫃を船で日本に持ち込み、
残りの支族たちは約1100年の歳月をかけ陸路
東方に移動します
中東、アジア、シルクロード等を通って
途中の地のインドや南中国に永住するもの、
そのまま東方への移動を続けるもの、
に分かれていきます

そして、中国(現西安辺り)の地に着いた支族が秦国を
築きます
そう、秦の始皇帝も古代イスラエル人ということになります

始皇帝の命で、不老不死の妙薬を求め、あの徐福と
技術者集団が来日したと言われています
徐福伝説は和歌山の新宮や日本各地に伝説があります

さらに始皇帝の子孫が19万人の民を率いて日本に渡来
したといいます

それが秦氏ですね

既に先着し日本に土着していたイザヤ一行の末裔と
千年以上の歳月を経て合流することになります

でも何故、聖なる櫃をこの剣山に隠す必要があったのか・・・?

実はそのヒントは麓のお土産屋さんで見つけた本
「空海の暗号と暗示 大杉博著」
そして
「北イスラエル十部族の大移動 大杉博著」
にありました

古代史の歴史学者である著者は、
通説を覆してきた学界の異端児のようで、
鋭い視点の研究成果がこの本に記されていました

先着したイザヤ一行は、淡路島の手前の島、
古事記にも記載のあるオノコロ島(現丸島)に上陸し、
その後淡路島経由で四国の地に渡ります
四国をカナンの地とオーバーラップさせ、
徳島の高越山(阿波富士)経由で剣山に入ります

剣山は頂上部の形状とその方角が
イスラエルのモリヤ山との多くの共通点を持っており、
剣山はモリヤ山を模写して人工的に手を加え成形した
山と言えるということです

確かに剣山は明らかに不自然な形状で、山頂付近は
山焼きの跡で低木草しかない平地になっています

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実は四国の山々は、紀元前の昔から山焼きをして
草山にしていたとのこと
1880年頃に政府の禁止が出たものの、その面影
は至る山々で見受けられます

まるでユダの荒野だったのでしょう

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この風習?を古代イスラエルの渡来人たちがもたらし
たということです

結論を言いますと、

剣山は神話の天孫降臨の地「高天原」であり、
下界の吉野川流域が葦原中国 としています

イザヤ・・・ イザナミ、イザナギ
確かに語源が同じでは?

天孫降臨とは渡来し四国の山上に住み着いた
古代イスラエルの末裔たちのこと、

天照大神は卑弥呼と同人格で、邪馬台国も
四国山上にあった

その子孫であるニニギノミコトは現吉野川流域
を葦原中国(=ヤマト朝廷の旧地)として治め、
その末裔が神武天皇、つまり初代天皇に繋がった
といいます

剣山頂上には1975年まで「イサクの生贄の岩場」
があったそうです
また山頂近くには「ほら貝の滝」があり、エルサレム
の「シロアム池」に倣って造成されたと見られています

四国の山には大小夥しい数の池が存在しており、
人口の溜池と思われ山上の国の飲料水だったと
思われます
そして、「井の国」 → 「いのくに」 →
漢語で 「倭奴国」 → 「倭国」
となったと推測されています

また剣山麓には「天の岩戸」があります

天孫降臨コースという修験の山駆け道があり、
以前は要所要所で護摩を修法していたそうです

美馬市にはイザナギとイザナミの代用宮の跡と
言われる"古屋敷"があります

吉野川流域の三好市池田町シンヤマには
かつて国譲り前に大国主命が治めていた頃の
宮殿跡もあったそうです


日本人のルーツに渡来人=古代イスラエル人(セム族)
が混ざっているということ、
そして、契約の櫃をモリヤ山と見立てた剣山の中に隠し、
封印したということ です

確かに、
山頂の剣山本宮宝蔵石神社の御神体の巨大な磐境
(宝蔵石)にはただならぬ霊気を帯びたパワーがありました

ニニギノミコトが葦原中国を任される際に
いわゆる三種の神器を授かりましたが、
その天磐座が、この宝蔵石だとしています

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中腹近くの登山道と外れる場所には修験道の行場があります
一般の登山者、参拝者は安易に近寄れない場所ですが、
そこに鍾乳洞の入口があり、その奥数百メートルに
聖なる櫃、アークが安置されているということです

今は入口が塞がれ中に入れないようになっており、
入口近くに守護的に古劔神社が坐しています

この伝説を受け継いだ大和の朝廷が、
当時勢力を誇り、大和を白村江の戦いで敗かし、
高句麗や百済を滅ぼし最大の脅威となっていた唐から
の略奪を防ぐため、めくらませが不可欠だったようです

かくして朝廷より大役を任された天才奇才空海は、
剣山を封印すべく、そして暗号化すべく、
壮大な八十八箇所の札所開設事業を手掛けた訳です

唐で密教という完成した修行システムを学ぶなか、
景教(キリスト教)も学び、失われたアークの秘密を
模索していたのでしょうか

大師は帰国後、準備期間を経て、四国の札所開設事業
に着手していきます

四国の周辺を札所で取り囲み、結界を張り巡らし、
そして要の剣山や周辺には霊場を設けず、
高天原と葦原中国には優婆塞や修験者、聖たちを
立ち入らせないようにしたということです

同時にアークが隠されていることを暗号として
後世に伝えました

著によると、
空海が大学生の時に授かったという「虚空蔵聞持法」、
頭が良くなる行法として有名ですが、これは実は、
「虚空蔵菩薩求聞持法」のことではないという

「虚空」・・・そら、四国では"山上"
「蔵」・・・所蔵
「聞」・・・聞く
「持」・・・持つ
「法」・・・方法

つまり、
「山上に所蔵しているものを聞いて保持する方法」
ということです

そして、空海がこの修法を行った5箇所が
①徳島県の大瀧寺(別格20番)
②高知県室戸岬御蔵洞(御厨人窟みくろど)
③香川県五剣山(現85番八栗寺)
④高知県雄山(現32番禅師寺)
⑤香川県女体山(現88番大窪寺奥の院)

②以外の場所からは全て剣山を遥拝できます

そして、最初に修法したのが大瀧寺なんですね

剣山が天照大神の坐す高天原 「太陽=陽」の地、
それを正面に遥拝し、祈願出来る西照大権現
の坐す「月=陰」の地が大滝山だったのでしょう

空海が修法した5箇所のうち②は、名前が御蔵洞
そして、そこで空海は明星(金星)が飛来し、口の中に
飛び込んでくる体験をします

高天原の口=剣山の鍾乳洞の中に、
輝く「金」=「秘宝」が入っている

これも空海が遺した暗示なのでしょう

暗示はまだまだ沢山指摘されています

詳細にご興味のあるかたは是非、
「空海の暗号と暗示 大杉 博著」
をご参照ください

信じるか信じないかはあなた次第・・・


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合掌


体験 なら 六大燈