天皇の謚号(死後の贈り名)には 「」がつく方が3名いらっしゃいます

初代    武天皇
十代   天皇
十五代 
天皇

そもそも天孫降臨したといわれる神話の神様の時代がありました

ご存知イザナギとイザナミの娘、天照大神(アマテラスオオミカミ)
には息子 天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト) がいます

そのさらに息子、つまり天照大神の孫に 邇邇芸命(ニニギノミコト)
といういわゆる天孫族となった神様がいました

その邇邇芸命が人間の女性と結婚してしまいます
富士浅間神社の主祭神である木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です

そして、人間の血が流れることで"寿命"が発生したと言われています
それでも何百歳という寿命に信ぴょう性が疑わしいですが

その子孫が 「神武天皇」で、天皇家の始まりとなります
神の代から「人皇」と言われる代のはじまりです

神武天皇から数えること九代 開化天皇までは
実在性が不透明とみられています

また、十代崇神天皇は神武天皇と同一人物だったのでは
とも考えられています

さらに、十五代 応神天皇に至ってまでも同一人物との
見方もされています

もうひと方、「神」のつく皇族がいらっしゃいます

功皇后(ジングウコウゴウ)」 応神天皇のお母さんです

彼女は朝鮮出兵で敵方(新羅)を征服したと軍神として
祀り称えられて「神」の謚号がついたと言われています

しかし、戦勝の真偽はかなり怪しいと見られています

その応神天皇からさらに数えて五代に
第二十六代 「継体天皇」 がいらっしゃいます

継体天皇の「継体」という謚号が意味することは何でしょう?

死後の贈り名ですから何らかの意味や意図があります

その一代前に、二十五代 「武烈天皇」がいらっしゃいます
日本書紀によると天皇家最悪の暴君となっています

紹介するに忍びない残忍な方法で人を殺め、喜んだとか、
また民は貧しい治世にも関わらず、
酒池肉林の宴を毎夜繰り広げたとか、
狂気の沙汰です

その武烈天皇には皇太子(世継ぎ)がおらず、
応神天皇五世の孫で、天皇家の血脈もかなり薄いとされる
唯一北陸出身の継体天皇が即位します

お妃に武烈天皇の姉の毛白香皇女(タシラカノヒメミコ)
を迎えます

継体天皇の血脈を補完、補強し、その正当性を証明すべく、
先代の武烈天皇の暴君ぶりを対照的に記述したのでは
と思われています

継体天皇の子供は安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇、
そして用明天皇へと続き、推古天皇聖徳太子
繋がっていきます

継体天皇が現代の天皇家に繋がる 新王朝の祖
となったと言えます

その継体天皇の陵墓に関しては、宮内庁によって
三島藍野陵(みしまのあいののみささぎ)として
大阪の茨木市の太田茶臼山古墳と定められています

しかし、その隣の高槻市にある立派な古墳
今城塚(いましろつか)古墳」 こそが実は継体天皇の
陵墓と考えられています

というのも、
二重の濠の前方後円墳で
その規模、総長約350m、総幅約340m
築造時期(6世紀前半)が継体天皇崩御531年と近似、
夥しい数の精緻な祭祀・埴輪等の出土品、
日本最大級の埴輪祭祀場、
墳丘内石積や石室基盤工の当時最先端土木技術、
等々、

大変貴重な発見と発掘調査により、学界でも
継体天皇の可能性がかなり高いという結論に
至っています

大阪の北摂地方にこんな陵墓が存在しているとは
つゆ知らず、いざ足を運びました

驚きました!

通常天皇家陵墓は宮内庁の管理のため立ち入り禁止
ですが、この古墳は宮内庁の承認がなされていません
依然、規模や出土品数からも、そして築陵時期も異なる
太田茶臼山古墳を継体天皇の陵墓とされています

今城塚古墳は、高槻市の管理により大変綺麗に美しく整備され、
古墳内を自由に散策ができます

これは貴重な機会です!天皇陵墓に入れるわけですから
今のうちかもしれません

さらに内濠を取り囲むように復元埴輪が数千個配置され、
また埋葬の儀式を再現して埋められた、
家や人物や動物、副葬品等々の200点にも及ぶ形象埴輪が
発掘位置に再現されて配置されています
 
これも圧巻です 

さらに、隣接して今城塚古墳 古代歴史館 があります
これが、また凄い!のひとこと

これだけの数の(修理復元された)埴輪を見たことがありません
祭祀に用いられた埴輪の表現力に魅入られました
立派な石室も再現されています
また、古墳の構造や技術、築造過程の解説等々、
見所満載、しかも良心的な無料施設です 

大阪は至る処、古代歴史の宝箱です

ご興味のある方は、是非足を運ばれてください 

今城塚古墳

今城塚古墳 
  
合掌

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