だーるまさんが転んだ♪ お馴染みのゲームの主役だったり、
必勝祈願の縁担ぎでは、勝利時に黒目を書き入れたり、
群馬の高崎にはだるま弁当があったり、
とかく我々に馴染みがあるのが「だるまさん」です
まんだらや関西にも、開業祝いで大事な知人から
ご奉納いただいた達磨さんをお祀りしています
そもそも達磨さんというのは、
5~6世紀に中国で発展した禅宗の第一祖です
インド又はペルシャ出身とも言われる「菩提達磨(ボーディダルマ)」
という人物です
あのどうみても中近東系の髭の濃いお姿から、
達磨さまのルーツは想像できたかと思いますが
だが実在していたかは疑わしく伝説上の仙人と言えます
西域経由で中国(当時は北魏の末期)の洛陽に入り、
禅の思想を広めていった人物となっています
嵩山(すうざん)の少林寺で壁に向かって9年間座禅し、
その結果手足が融けてなくなり、あの「だるまさん」
というキャラクター?が出来上がったようです
中国禅宗の祖師に慧可(えか)という方がいらっしゃいます
「慧可断臂」という故事で
菩提達磨に弟子入りを希望する際、自ら右腕を切り落とし
入門の意志の強いことを示し、許されたとの逸話があります
達磨さんのように座禅で融けた腕なら痛みを超越した境地
でしょうが、痛みを伴って自ら切り落とす勇気と決意には
感服しますね
菩提達磨は初めて中国に来た際、江蘇省金陵というところで、
南北朝の梁(りょう)の武帝と問答をしています
達磨に対し武帝曰く
「朕は即位して今日まで多くの寺院を造り、経巻を書写し、
また僧尼たちを度してきた(道理をさとすこと)
これらの行為には、いかなる功徳があるのであろうか?」
達磨は冷然と答えた
「無功徳なり!」
武帝問う
「なぜなのか?」
達磨答える
「そんなものはこの迷いの世界におけるちょっとした因果の
報いで、影が形につきまとっているようなものだ。
幻のごときもので、実際にはありはしない」
さらに武帝問う
「では真の功徳とは如何に?」
達磨答える
「悟りの浄らかな智慧は、完全無欠なものであり、
存在論的には”空”である。真の功徳は、
世間的な標準では捉えられない」
逆説的な禅問答ですよね
功徳を目的に善行しても本当の功徳なんて
ものは手にできないよ
行為のみにフォーカスしていなさい、
功徳(見返り)を期待してては
真の行為とは言えないよ
その行為自体に打ち込んでいることが
結果的に「功徳」に繋がるということらしいです
では、行為とはなんでしょう?
釈迦は苦行を経て、苦行の無駄を覚り、
だからと言って楽しみに耽るのでもなく
中道を説きました
その中の「八正道」という教えは、日常生活の中での心掛けです
「正見」 「正思」 「正語」 「正業」
「正命」 「正精進」 「正念」 「正定」
正しい見解、正しい思惟、正しい言葉遣い、正しい行ない、
正しい仕事、正しい努力、正しい一念(気づき)、正しい精神統一
これらを実践することが日々の冥想とも言えます
"だるま"という発声音は dharma (ダルマ)=法、
つまり、仏様の教えという意味でも使われています
さてさて、心掛けたくても現実的には・・・・ でしょうか 
(参照 : 観音経 奇蹟の経典 ひろさちや著 大蔵出版)
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