どうも。こんにちは。団子犬です。
ちらっと、、、本当にちらっと小説を書いたんですが、時間的余裕はあっても精神的余裕がなくて、全く書けずに、このアカウントを作ってから5年ほど経過してしまい、もう20代に突入して数年が経とうとしています。
驚きです。
驚きです。
そろそろ3月11日、東日本大震災から9年。長かったような短かったような、、、。
とある作家さんに憧れてこのサイトにアカウントを作り、「どんな物語を書こうかな」「こんな人物を描きたいな」とワクワクしながら想像していた学生時代が懐かしいです。
想像はできても、自分はとても稚拙な文章しか書けず、自分が描いた世界を文字で伝えることがほんとうに大変で大変で、、、、。
とある作家さんに憧れてこのサイトにアカウントを作り、「どんな物語を書こうかな」「こんな人物を描きたいな」とワクワクしながら想像していた学生時代が懐かしいです。
想像はできても、自分はとても稚拙な文章しか書けず、自分が描いた世界を文字で伝えることがほんとうに大変で大変で、、、、。
やめちゃいましたね(笑)
「うえ、小説家ってこんな大変なのか」
エセ小説を書き始めて最初にこう思いました。
まあやめた理由は勿論これだけではないですよ。
自分は、「作る」より「観る」「聴く」「読む」が好きなんです。
つまり結局は能動的ではなく、受身的な人間なんです。
つまり結局は能動的ではなく、受身的な人間なんです。
主な趣味はゲームをすることなんですが、
ここで「自分もこんな面白いゲームが作りたい」とか「このゲームを作っている方々と共に働きたい」
とか全然思えないんです。
ここで「自分もこんな面白いゲームが作りたい」とか「このゲームを作っている方々と共に働きたい」
とか全然思えないんです。
いや、全然ってことはなかったです。
ちゃんとそんな時期はありました。実際某大手ゲーム会社の採用情報をチェックしたこともあります(笑)
だけど時間が経つと、
「、、、、。いや、、、。
作るのは違う、、、、。」
そう思えてくるんです。
「なんでかな?」
こう考えても結局その理由はうまく言葉に言い表せないけど、自分なりの言葉で言うと
「作る側になってしまうと、そのゲームのタネや仕掛け、更にはオチまでわかっちゃう」
って感じですかね。要するに、知っていたらつまんないですよ。
例えば、漫画は単行本派の人が、週刊誌派の人にネタバレを食らうものと一緒です。私にとってはですが。
マジックだって、仕掛けがわからないから面白いんじゃないですか。
サンタさんはいないんだって歳をとってから親に言われた時、ショックを受けるじゃないですか。
サンタさんはいないんだって歳をとってから親に言われた時、ショックを受けるじゃないですか。
こんな感じです。あくまで私の視点からですが。
だから、小説家には自分はなれないと、思ったんです。
だから、小説家には自分はなれないと、思ったんです。
さて、じゃあなんで今このアカウントを復活させてこの文章を書いているかというと、
「自分の考えをどこかで留めておきたい」
そう思ったからです。
『いやいや、留めておくなら別にブログやら日記にやら書き留めておけよ』
と、思ったそこのあなた、
その通りです。
いや本当にその通りです。
こんなこと発信する意味は何もないんですよ。
こんなこと発信する意味は何もないんですよ。
ただ、この意味のないことって誰にとって、なんで意味がないんでしょう。
、、、、、、、、。
誰にとっても意味がないですよね。なんで意味がないかって、こんなたかが二十何年しか生きていない人生経験が乏しい人間の言葉なんて、これまでの偉人たちの言葉に比べると宇宙のチリかそれ以下の価値しかないからですよね。
本当に、何の得もない。
こんな文章、読むだけ無駄です。
と、いうわけで、ここまで読んでくださってありがとうございます。
またいつかどこかでお会いできたらうれしく思います。
ではでは~。
と、いうわけで、ここまで読んでくださってありがとうございます。
またいつかどこかでお会いできたらうれしく思います。
ではでは~。
ああ待って嘘ですごめんなさい。ブラウザ閉じないでください。
冗談です。
いや冗談でもないんですがね。誰にとっても意味がないのは紛れもない事実です。
じゃあなんで私はこれを書くのか。
その理由はただ一つ。
「私のため」です。
これまでの文章、これから書くであろう文章、すべてが私のためです。
今の私のためです。
今の私のためです。
自分を見失わないためです。
私は、自分は共感性が強い人間だなと自覚しているんです。
どの言葉、どの思想にも「へ~そうなんだ」と受け入れてしまうんです。
これを最近やりすぎたせいか、
「あれ、私の価値観ってなんだっけ?」
そう思ったんです。ただこれは少ししたら再び見つけられました。
しかし、そこから
「今の私の価値観って、知らぬ間に植え付けられたものなんじゃないか?」
と疑い始めました。
こう疑った瞬間、私の中の世界が崩れ始めました。
よく小説や漫画で見る「敷かれたレールを歩いてる」ってやつです。
神に定められた運命に気づいちゃった村人みたいなポジションですよ。
「自分は漫画の登場人物だ」と悟っちゃう系のキャラクターですよ。
「自分は漫画の登場人物だ」と悟っちゃう系のキャラクターですよ。
ただ自分が住んでいる周囲の環境によって自己とか性格とかは形成されますから、極論どの人間も知らぬ間に価値観を植え付けられているようなもんですよ。
自分がいいたいのは別に価値観が勝手に植え付けられていることに関してじゃなくて、
その価値観自体に違和感を持ち始めたことについてなんです。
つい先日、とある呟きを見たんです。
「日本人は相手に期待しすぎる」
簡単にまとめるとこんな感じです。
「うわあ、その通りだあ、、、、!これ自分だ、、、!」
って激しく自己嫌悪に陥ったんです。
数か月前に、他人に期待しすぎて、その人の行動にショックを受けて「期待を裏切られた」と思った経験があったので、自分はまさにこの呟きをした方にとっての「日本人」だったんです。
そして考えます。
「日本人」ってなんだ?
私は確かに「日本人」。
日本で生まれて日本で育った。
国籍も日本に登録している。
日本で生まれて日本で育った。
国籍も日本に登録している。
でもそれ以前に私は私ではないのか。
勝手に期待して、その人の行動に「期待を裏切られた」と勝手にショックを受けて、勝手に「なんで期待に応えてくれないんだ」と思い、勝手に見放して。あまりにも酷い行為だ。
だけど、、、
「日本人」である前の「私」にはその「日本人」がこびりついて離れないんだ。
ショックでした。
私の親戚にいわゆる「引きこもり」の方がいらっしゃいます。
その人がそうなったのは「期待に応えられない」とふさぎ込んじゃったからじゃないかなと、自分は思うんです。あくまで私の考え方ですよ。この文章を読んでる方はこれに合わせる必要も、これを批判する必要もないですよ。考え方は本当に人それぞれですから。
続けますね。
「期待に応えられなかった」
こう思うってことは、この御方はとても「まじめ」なんだと思うんです。
この方の「まじめさ」と挫折をするまでの誰かの「期待通り」の蓄積から、「もっと高い目標で」「もっともっと、、、、」と「期待」はどんどん大きくなります。
高跳びで徐々に超える棒の高さが高くなるのと同じです。
いや、少し違いますね。
高跳びは「限界」が目に見えますが、「期待」には「限界」が見えないどころか「無限」ですから。
この「期待」というハードルを飛び越えられなかった時、誰かのキラキラした眼差しは一転して、何か、「こいつはこれが限界だな」と見限るような眼で見てきます。人によっては心ない言葉を浴びせます。
「まじめ」なこの御方はこう見られた瞬間、「あ、自分はダメなんだ」と、思い始めます。
そして、「期待に応える」という苦難から逃げ出します。
なんて恐ろしい世界でしょうか。
そして自分も酷い文章を書くなあと同時に思います。あ、文章自体の話じゃないですよ。文章自体がひどいのは自覚してますから放っておいてほしいです。「酷い文章」っていうのは、「勝手に期待している人」「期待に応えられず『逃げ出した』人」っていうまるでこの方々を批判しているような言葉遣いが酷いってことです。
「勝手に期待している人」も誰かの期待に応えながら生きてきたはずですから、そう期待するのはもはや息をするように当然です。
「『逃げ出した』人」っていうのは、「期待」のハードルの高さは人によって全然違うんですから、『こんなレベルで逃げ出すのか』と感じる人と『そんなレベルまでいけたのか凄いな!』と感じる人がいるので『逃げ出す』って表現あまりよくないなって自分で思うんです。
「『逃げ出した』人」っていうのは、「期待」のハードルの高さは人によって全然違うんですから、『こんなレベルで逃げ出すのか』と感じる人と『そんなレベルまでいけたのか凄いな!』と感じる人がいるので『逃げ出す』って表現あまりよくないなって自分で思うんです。
ただ自分はたまに「いやこれ簡単にできるやん」って誇らしげにする瞬間があるので、時と場合によっては『逃げ出すのか』と思う側の人間になることがあるんです。だからこんな表現をしました。
『なんでこんなこともできないの』
と、叱ったり叱られたりした方、いらっしゃると思います。
しかし、
「できないものはできないんです」
『暫くしたら慣れるよ。自分のペースで頑張ってね』
『もう慣れたよね?でもなんでそんくらいのことしか出来ないの?』
「私の成長するペースはあなたの『期待』するペースではなかったみたいですね」
勝手に期待をしないでほしい。
そして勝手にそれを押し付けないでほしい。
仮に期待をするにしても、出来ないからと勝手に見限らないでほしい。
期待に応えるって、「まじめ」な人にとってはとてもプレッシャーなんです。
しかも期待に応えられなかった時に、誹謗中傷や、最悪、暴力を受けた「恐怖」を植え付けられた御方はよりプレッシャーに感じるんです。
どんどん重くなる。
辛くなる。
時には死にたくなる。
でも生きたい。
辛くなる。
時には死にたくなる。
でも生きたい。
だけどここで負の連鎖。
「誰か助けて」
またそうやって勝手に「期待」する。
2020/03/08 AM2:46
