おはようございます、ちょろママです。


記憶が新しいうちに、倒れた日の事を。

メモみたいなもんです。

てんかん発作の描写がございますので

ご容赦ください。


先月16日、40歳になった夫。

家族で誕生祝いをし、写真を撮って、

翌日は家族でお出掛けしてお祝い。

ありふれた家族の幸せを堪能したのち、

和気あいあいと2/18-19で

義父の70歳を祝った旅行に行ったりして、

お祝いから日常に戻った2/20、

それは突然に訪れました。


20時に吉村屋のラーメンを食べるまで、

異変はなかった、そう思います。

家系のラーメンにトラウマができそうw

(ラーメンは悪くないし、美味しかったw)


21:15頃、子供達を寝かしつけに寝室に

行こうとすると、夫が急に

『めまいがする』と言いました。


旅行の疲労を感じていた私は、

回転性めまいか浮遊性めまいかを聞いて

回転性めまいとの回答だったので、

良性発作性めまいかな?と判断しました。

『危ないから寝室で一緒に横になって、

落ち着いてから動いたら。』と言ったのに

ふらふらとリビングに戻る夫に、

初めてのめまいだし混乱してんのかな?

位に思っていました。

大人なんだから言うこと聞いてよ!と

思いながら、心配なので寝室に誘導し、

ベッド上で安静にさせていました。

明日、会社休んで耳鼻科いったら?

なんて話しながら、その時は

会話らしきは成立していたように

思っていたけど、振り替えれば

リビングに戻る行動自体が不可解だし、

てんかんの部分発作が起きていたのかも…

なんて思います。


21:30頃、めまいが少し落ち着いた、

といわれてホッとして、

ただただ娘寝ねぇなぁと思ってたら、

夫が『トイレ行きたい』と言ったので

一応付き添い、トイレの鍵をかけられて

ちょっとイラッとしたのを覚えてますw

付き添ってる人の前で鍵かけんなや、とw


なお、付き添いを見た娘は、

私のトイレに毎回付き添って

くださるようになりましたww

トイレの蓋を開け、トイレットペーパーを

少量渡し、『はよせぇや』と待ち、

流してバイバイしてくださるんですが、

一人でトイレしたい(涙)

あ、横道それたわww


21:50頃に多分トイレに行った夫。

ラーメンを食べるとお腹を下すタイプ

なので、まぁいつものやつやなと思って

寝かしつけに寝室に戻ったわけです。

すると、22時頃、ガタンと物音が。


ドアをノックして、声をかけたけど

応答はなし。物音だけが続くので

異常を感じて軽量スプーンの持ち手で

トイレのドアのロックを外しました。


すると、そこにはトイレの便座には

座らずに、斜めに落ちた突っ張り棒ばりに

一直線に硬直した夫がいました。

教科書的な知識しかなかったけど、

強直性発作だ、と思いました。

意識もなく、呼び掛けには応答せず、

救急車を呼びながら動画を回しました。


子供の痙攣は様子を見て動画を撮って

と言われていたから動画を撮ったけど、

泡を吹きながら強く噛み締め、

呼吸をしていませんでした。

正直パニックで、娘は横をうろうろして

全然寝ないし、唇が真っ青になり、

チアノーゼを起こしていると伝えました。


ここにいるのは本当に夫なのか?

そんな思いを持ちながら、救急要請、

ほどなくして、救急車が到着しました。


救急隊が到着する頃には、

大発作は落ち着いて呼吸も回復、

トイレに座ることはできたものの、

意思の疎通は難しい状態でした。


救急隊の方には感謝しかない。

言われた通り保険証を握りしめ、

待っている間に実母に連絡をいれました。


夫が倒れた。これから病院に行くことに

なる。子供達をたのみたい、と。

すぐに行けるようにする、また連絡して、

そう言ってくれた母が近くにいて、

本当に助かりました…今もめっちゃ助けて

もらってるけど、感謝しかない。


救急隊からは、搬送するので旦那さんの

着るもの、履き物、保険証を持って

寝てるお子さんは頼れる人に任せて、

下のお子さんは小さいし、起きてるから

連れていきましょう。そう言われて、

22:30、おんぶして用意をしていたら

上手いこと寝てくれたので寝室に転がし

タクシーで到着した実母に子供達を

頼んで救急車に乗り込みました…。


救急車に行くと、到着してから30分ほど

経過していたのですが、断られ続けて

搬送先探しに難渋していました。

まだ見つかっていないから、区外に

連絡してみていいですか?と。

となり駅から徒歩25分の大きな病院

から搬送許可が出て、23時前に到着、

医療スタッフに受け渡されました。


救急車の中でも何度かてんかんらしき

発作を起こしていて、モニターの

ピコンピコン音が響いていました。

病院に着くとイケメンDr.から

大量の同意書のプレゼントw

できれば甘い言葉とかが欲しかったわ←


同意書を書きながら、自分の手が震えて

いることに気づきました。

挿管・人工呼吸器に対する同意書、

抑制(暴れたときに縛る許可)、鎮静、

手術、造影剤使用許可など、

たくさん書類を書きました。

1個にしてよえーんて思いました(笑)


『フルファイトで頼む、全て同意する』

そう言うのが精一杯でした。


別室で待たされながら夫の会社スマホを

ロック解除し(以前教わっててたまたま、

たまたま覚えてた。自分の記憶力の良さに

正直引いたwww

1時過ぎに、夫と会えるまでの間、

何とか明日の欠勤と入院について

信用できる職場の人に伝えないと、

そう思って、電話帳をスクロール。

浮気調査かよって思いましたwww


いつも仕事ができて凄いと尊敬されてた

グループリーダーの名前を見つけ、

連絡先を拝借してメールを打ちました。


今もその方は丁寧かつ迅速に、会社で

必要な事務処理を行ってくださいます。

日頃から、夫と会話していなかったら

どうしていいかわからなかっただろうと

思うし、会社に連絡もしなかったかも。

何の気なしにしていた仕事の愚痴とかも、

重要だったんだなと今になって気づきます。


ま、朝8時半までメール返ってこなくて

結局待てなくて電話したんですけどねw

(メールもらった時まだ飲んでて、

次の日もツラかったんです、てへぺろ★

って後日言われましたww)


横道それました。

搬送されて、鎮静から覚めた夫に

会えたのは翌、2/21の午前1時過ぎ。

そこにいたのは知的な発言のない

3歳くらいの話をしている夫でした。

私の事も妻として認識してはおらず、

手にはめられたミトンを歯で噛みながら

はずして!はずしてーー!!

そう叫んでいました。

おしっこの管がよほど嫌だったようで、

あと何分でおしっこしていいですか?

トイレ行きたいです、お願いです

と繰り返し続ける夫。

病院に勤めている私は、そう言う光景を

見ているし知っている。

まさか、夫が。そう思いながら、

なだめるのに耐えきれずに近くの医師を

呼んで説明してもらいました。

カルテを打つ手を止めて、対応して

くださったこと。それだけでも家族は

救われるんだなと学ばせてもらいました。


面会後。ERで医師の説明を受けました。


見せられたのは全身のCT。足から順に

腎臓、腸、肺、特に問題はないけれど

とスクロールされた画面の先は、

でした。

そこには、画像を見るのが素人な私でも

はっきりとわかるような異物がありました。

3~4cmの腫瘍が脳の中にある。

ひとまず、今日は入院してEHCUで

様子を見て、脳外科に引き継ぎをします。

正直、頭のなかが、真っ白でした。


入院書類を書いて、解放されたのは

午前3:30。タクシー会社に連絡して

GOアプリも使ったけど捕まらず、

受付の人にその辺で寝てていいか聞いたら

『僕がアプリで呼んだり電話かけて

あげるから、近くで休んでてください』

と神対応かよ!!神様かよ!!

あっ、意見書に書いてお礼言わないと。

4時すぎに『タクシー捕まりましたよ!』と

始発まで寝ようとしてる私に声をかけて

くださり、無事に4:30頃、

なんとか家に帰りました。


本当は帰り道、泣きそうだったけど、

タクシーの運転手さんの軽快な

どうでもいい話(←)に救われました。


そんな長い1日が夫の倒れた日。

翌朝いつも7時まで寝てる子供達が

無駄に6時前に起きて私をたたき起こして

くださって、ほぼ寝ずに次の日がきた、

そんな感じでした。


病院勤務でも、薬剤師でも、

頭が真っ白になったんだもの。

なにも知らなかったら、取り乱したり

食って掛かってもおかしくないな、

と思います。


倒れたのが自宅で良かった。

てんかんと言う形で運ばれて良かった。

脳腫瘍に気づけて良かった。

良かったことに目を向けて、

なんとか家族で乗りきりたいと思います。


夫の妹からお見舞い。

ビタミンカラーで優しい気持ちになれます。




次回予告。(不定期更新)

入院初日と家族への説明、を予定してます。

夜中に起きちゃったから書いたけど、

早速今日も寝不足だぜ!(不眠じゃんw)


それでは、今日もいい日になりますように。